教皇ベネディクト十六世2011年8月7日「お告げの祈り」

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(27節)。教父はこの出来事からきわめて豊かな意味をくみ取りました。湖は、この世と目に見える世界の不安定さを象徴的に表します。嵐は、人間を襲うあらゆる苦しみと困難を表します。これに対して、舟は、キリストの上に築かれ、使徒によって導かれる教会を意味します。イエスは弟子たちに次のように教えようと望みます。勇気をもって人生の逆境を耐え忍びなさい。そのために、神に信頼しなさい。

主は「身を低くして、あなたの手を取ってくださいます。

あなたは自分の力だけで立ち上がることができません。

あなたに降って来てくださるかたの手をつかみなさい」

わたしたちは神の近くにいるときに力づけられ、神から遠ざかったところで試練を受けます」

わたしたちが主を探し求め、主に祈り求める前に、主ご自身がわたしたちに会いに来てくださいます。主が天から降ってわたしたちの手を取り、高いところに導いてくださいます。主が望まれるのは、わたしたちが主に完全に信頼を置くことだけです。神への完全な信頼の模範である、おとめマリアに祈り求めようではありませんか。どれほど多くの心配と問題と困難がわたしたちの人生の海を騒がせても、わたしたちを落ち着かせてくださるイエスのことばを心の中で聞くことができますように。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。そこから、イエスへの信仰を深めることができますように。

2020年「第57回世界召命祈願の日」教皇メッセージ(2020.5.3)

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(マタイ14・27)。これは、わたしたちの人生と召命の旅に必ず伴わせるべきことばです。

わたしたちは、生きるようにと呼ばれた具体的な召命の中で、そうした逆風によって疲れ果ててしまうかもしれません。わたしが念頭に置くのは、社会で重要な責務を果たす人々、まさに「勇者」と呼んで然るべき結婚している人々、そしてとくに、奉献生活や司祭職に就いているかたがたのことです。わたしは知っています。皆さんの疲れ、心を重たくしがちな孤独を、召し出しの熱い炎をだんだんと弱めてしまう慣れの危険、現代の不確実性と不安感による重苦しさ、将来への不安を。安心してください。恐れないでください。イエスはわたしたちのすぐそばにおられます。イエスこそがわたしたちのいのちの唯一の主であることに気づくなら、イエスは手を伸ばし、わたしたちをつかまえて、救ってくださいます。

そうすれば、波のただ中にあっても、わたしたちのいのちは賛美へと開かれます。これは召命についての最後の語ですが、至聖なるマリアの内的な姿勢から学ぶようにとの招きでもあります。マリアは、ご自分に注がれる神のまなざしに感謝し、恐れと戸惑いを信仰のうちにささげ、強い心で召し出しを受け入れました。マリアはご自身の人生を、主をたたえる終わりのない賛歌としたのです。

      

トップページ | 全ニュース