カトリック住吉教会季刊誌「すみよし」

第2号 挿絵

1952年7月第2号

目次・・・

  1. 祈りとは?
  2. 第2回地域特別信者懇親会
  3. キリスト教と少年少女
  4.  

カトリック住吉教会

祈りとは?

公教要理で「祈りとは何でありますか。祈りとは天主に心をあげて天主と語る事であります」と教えています。「心を上げてとは」何でしょうか。私達は魂を見ることが出来ません、体と一致していますから私達が天主様の方之心を心をあげると云う事は私達の念願、望みを此の地上から離して天主様の許へ向ける事です。

私達のまわりの者から離れてしばらくの間私達は心配・心遣い・現世的の苦労を忘れます。そして天主様について考える為に私達に属するものを捨てます。ですから祈る為に仕度しなければなりません。天主様と語るのですからよく注意して私達の考えをからにしなければなりません。私達の知恵は別々なことについて考える事は無理なことです。さもなければ「二兎を追うものは一兎も得ず。」となりますでしょう。

そんな仕事をしていてもどんな用事があってもイエズス様は私達が皆天国へ行く事をお望みで職業は人生の状態であり天主様の意思でありますから祈る為にさしつかえとはなりません。天主様は人々の念願を知っていらっしゃいますから現(?)人が完全になろうと思っていましたら天主様は特別な方法をあたえて下さいます。私達はいのることについて時間のない事をかこつけます。然し本当の愛を持っている人は祈るために時間を見つけます。

第2回地域特別信者懇親会

定刻30分過ぎ、コンタツ(ロザリオ)一環を唱えた後、神父様の「信仰に就いて」下記の如き烈々たるお話があり、初夏の夜の更けくるをしばし忘れしめた。会する者十余名。

共産主義は何故強いか、彼等は皆地上に対する信仰をもっている。そして其の信仰を他に伝えんとする熱意をもっているからだ。我らカトリック者は天上地上を貫く信仰を持っている。聖寵によって与えられた信仰という宝物を、日々の生活過程を通して益々強め、之を実戦せねばならぬ。聖書にもっと親しまなければならぬ。併しただ知るだけでは何もならない。また日曜日毎にミサにあづかるだけも足れリとしない。天主の十戒をよく守る事も必要に相違わないが、最も肝要なのは常に祈ることだ。心から天主様のお恵みを感謝すると同時にもっと聖霊のお恵みを感じる事だ。

カトリック者は誰でも、彼自身の裡にキリストをもっている。聖霊により聖体の拝領により、其の他凡ゆる秘蹟によってキリスト様を我が物にしているのだ。何たる喜びぞー。この大いなる喜びを只一人喜びに止めずこれを一人でも多くの隣人と分かち合う事は、喜びを益々大きくする事であり天主様を最も喜ばせする途である。聖パウロがどんな蛮地僻地も臆することなく適応してその烈々たる信仰をぶちまけ頑なな未信者をどんどん改心せしめた事は聖書に明らかな所、これに重ねて聖パウロの熱と力を思い、其の根源に対し畏敬の念を禁ずる能わざるものである。

キリスト教と少年少女

カトリック信者がみんなキリスト様を心から信じて。正しい生活に入っているように。世の中の人がみんなイエズス様の愛をもって、正しい行いをしたならば世の中はもっと幸福になります。

イエズス様は私達少年少女をいつもあたたかい愛をもってご一緒にいらっしゃるのです。私達がどのような行いをしたら、良い子になれるか、また友達とどのようにしたら仲良く明るい生活が出来るか、いろいろ教えて下さいます。

イエズス様は心の鏡です。私達少年少女は一生懸命勉強にはげみ親に安心させ友達と仲良くしてイエズス様にはずかしくない、良い子になりましょう。私達少年少女の正しい行いは、世界平和のもとになるのです。

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