3月15日四旬節第3主日
黙想のヒント

辛い奴隷制の状態から解放された人たちは、きっと神様は力ある存在であり、すべての悪から守ってくださると信じました。
でも解放されてから砂漠の厳しい環境に置かれ、辛い経験をし始めた。
どうして神様は辛い経験から守らないのか?
解放的な経験をしたのに、どうしていつも守ってくださらないのかが理解できなかった。
そして神様からすぐ離れて、前の辛い生活を懐かしく思い出した。

神様は辛い経験から、病気や災害、死ぬことから、守ってくださらないのか?
そうでしたら、神様なんていらないでしょう。

でも神様は違います。辛い経験をさせない存在でしたら、主イエスは残酷な死に方を経験しなかったでしょう。
でもイエスは辛い処刑、その痛み、そして死を経験しました。

イエスのメッセージは、「神様はあなたを楽するよ」という安心させるメッセージではありません。
イエスのメッセージは、「あなたの父を信じなさい、そして父と同じようになりなさい」というメッセージです。
神様は上から世界を支配する存在ではない。息のように私たちを動かす存在です。
つまりどんなことがあってもその息に沿って生きることができます。
神を信じるとはその息に従って生きるということです。自分を守るためではない。その息に沿って生きる。
その息の有様はイエスが示してくださいます。
他人に仕えることです。他人のために自分を尽くすこと。そして、その息、神の霊にすべてを委ねること。
私たちは神の息に沿って生きるものです。
その息はまことの命へ導きます。
生きることより、神の息吹、聖霊、愛に従って生きるほうが私たちのありさまです。

よろしくお願いします
ポポン ・エマニュエル

今日の福音朗読

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