4月12日復活の主日
エマニュエル神父のメッセージ

ご復活おめでとうございます。

復活徹夜祭と朝のミサの中で読まれた福音書は同じことを伝える。
イエスと呼ばれた人が死から蘇られたと。
徹夜祭の福音書の中ではイエスご自身が二人の女性に現れ、復活されたことを言い、従って二人の女性は喜んで、目撃したことを他の弟子たちに伝えに行く。
その一方、日中ミサの福音書の中でイエスは現れない。女性たちもペトロとイエスが愛された弟子とも空いたお墓しか見つからなかった。
どうして福音書があんなに違うのか?そして、本当に違うのか?

徹夜祭の福音書は確実な出来事としてご復活を伝えたい。だからご復活されたイエスを目撃した女性の出来事を伝える。
「確かにこのことはあったよ」と。
日中に読まれたヨハネの福音書も復活を伝えるが、イエスを目撃していない人のためにご復活を語る。つまり、復活されたイエスを見なくても信じることができると伝えたい。そしてイエスを見なくてもイエスのご復活を伝えることができると福音書は伝えると解釈してもいいと思う。
ちなみに、ペトロと一緒にイエスのお墓を見に行った弟子は名前が伝えられてない。その弟子はすべての信者を表すのではないか?
私たちはイエスを見たことがない、でも信じることはできる。その信仰は目撃した弟子たちのことばに基づいているが、私たちの中に、神の息吹が彼らのことばを確かめてくださる。五感で感覚できるイエスの復活の証拠はない。でもイエスのことばを信じ、それに新たにされることがそのしるしになる。今でも、世界中に、イエスを信じて、神の国のあかしとして生きる人はいる。
イエスを見ることはできないが、イエスのことばとイエスへの信頼が人を変える。この世はすべてではない、苦しみと死がいずれなくなり、神の国が完成される日が来ると言う希望を、イエスを見なくても、自分の中で宿ることができる。
そして恐れずにイエスのことばに沿って生きる人は確かに新しい生き方を発見する。イエスがもたらしたその新しい生き方は、神の愛に基づいている。
ご復活祭を通して神の愛が被造物を包まれることがわかる。イエスは人間になってその愛の有様を示してくださった。
その愛は無償、無条件の奉仕だった。騒いでいる世界の中でイエスに学ぼう、イエスの柔和の力を受けよう。私たちのすべてにおいて、イエスとともに、私たちの苦しんでいる兄弟姉妹を探し、寄り添い、命と慰めを与える神の道具として生きていこう。

ポポン ・エマニュエル

今日の福音朗読

東京大司教区復活の主日ミサ配信2020年4月12日10時

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