5月3日復活節第4主日
赤波江神父の黙想のヒント

復活節第4主日

ヨハネ10:1-10

  今日の福音は善き牧者イエスの例え話です。以前私は友人と六甲山牧場に行きました。そこでは羊が放し飼いにされている所で、ヨーロッパの牧場の光景を彷彿とさせるのどかな牧場です。六甲山牧場は二つの丘にまたがって橋がかけられていて、羊や人が往来できるようにしています。ところで、私が橋を渡ろうとしたら橋のたもとに30匹くらいの羊が座っているのです。そのうちの何匹かは橋をじーと見つめて、まるでいかにも「行こうか行くまいか、渡ろうか渡るまいか」というような表情をしているのです。私が友人に「この羊悩んでいるよ」と言って笑いながら橋を渡ろうとしました。すると一匹の羊がトコトコと私の後についてくるのです。それを見た他の羊もトコトコとついてくるのです。さらにそれを見た他の羊もあとをついてくるのです。しまいにそこにいた30匹くらいの羊が全部一列になって私のあとにトコトコとついてくるではありせんか。まるで私は善き牧者キリストになったような何とも楽しい、いい気分になってしまいました・・・「羊飼いは自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているのでついて行く」(ヨハネ10:4)。でも同時に私は羊の性格が何となく分かりました。羊は飼い主がいないと生きていけない動物なのだと。

  羊は弱い動物です。外敵と闘うことができず、おまけに逃げ足も遅い。狼に襲われたらひとたまりもない。単独で生きることはできず、群れとともに飼い主がいなければ生きていけない動物です。しかし羊は他の家畜に比べて羊毛、肉などの点で価値の高い動物です。イエスが私たち人間をこのような羊に例えているのは非常に当を得ています。

  私たち人間も単独で生きることはできず、いつも社会という群れの中で生きています。おまけに非常に弱い。何に対して弱いかというと、罪と悪の誘惑に対して非常に弱い。魂の牧者であるイエスが私たちに代わって罪と悪に対して闘ってくださらなければ、私たちは全く無力です。羊が飼い主にとって価値の高い大切な家畜であるのと同じように、私たちひとり、ひとり例外なく神の前に非常に大切な宝なのです。

  ところで、こんなに弱い羊ですが唯一最大の強みを持っています。それは聞き分ける耳です。「羊はその(飼い主)の声を聞き分ける・・・しかし、他の者には決してついて行かず、逃げ去る。他の者たちの声を知らないからである。」(ヨハネ10:3,5)この点人間はもしかしたら羊よりも劣っているのかも知れませんね。悪魔の声を神の声と勘違いしたり、神の声を聴き漏らしたり、聴こうとしなかったり。

  何が正しいのか間違っているのか、何が恵みで何が罪か、羊のような聴き分ける耳を神に願い求めましょう。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

東京大司教区復活節第4主日ミサ配信2020年5月3日10時

大阪大司教区ロザリオの祈り配信2020年5月3日11時

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