6月21日年間第12主日
赤波江神父の黙想のヒント

(マタイ10:26-33)

 「誰でも人々の前で自分を私の仲間であると言い表す者は、私も天の父の前でその人を私の仲間であると言い表す」

 ある日教会の女性の信者さんがスーパーで買い物をしてレジで精算していると、後ろに幼稚園児くらいの男の子が並んでいるのですが、何とその子は手にビールを持っているのです。もちろんレジの女性はその子どもにお酒を売ることはできないと言ったのですが、その途端その子は下を向いて顔を真っ赤にして、今にも泣きだしそうな顔をしているのです。実は、その日は父の日だったのです・・・。その子はきっと大好きなパパに自分のお小遣いで父の日のプレゼントをしたかったのでしょう。レジの女性もすぐ分かったのか、店長らしき人の所に行って相談していたようですが、戻ってきてやはり頭を横に振って下を向いて黙りこくってしまいました。子どもの気持ちは分かるけど、周りの人も見ているし、法律も守らなければならないし、レジの女性も何と言っていいのか分からなくなってしまったのでしょう。そのとき子どもの後ろに立っていた女性が「僕、おばさんが半分出してあげる」と言って、子どもから80円ほど受け取り160円ほど(ですから実際は発泡酒だったのですね)自分で払ってビールを買ってその子にもたせてあげました。その男の子はお礼を言ってスーパーを後にしたのですが、それを見ていた女性の信者さんの方は、後でそのとき自分が何もその子にしてあげられなかったことを一晩中悔やんでいたそうです。

 でもそのときのその子の表情、そして家に帰ってその子がどんな表情で「パパ、おめでとう」と言ってビールを渡したのでしょうか。皆さんちょっと一緒に想像してみませんか。

 父の日の甘酸っぱい思い出でした。ところで、その男の子今年はパパに何をプレゼントしたのでしょうか?

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

東京大司教区年間第12主日ミサ配信2020年6月21日10時

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