7月12日年間第15主日
赤波江神父の黙想のヒント

マタイ13:1-9

 今日の福音は種蒔きの例え話です。でも今日の話のようにある種は道端に落ち、ある種は石だらけの土地、茨の中、そしてやっとある種は良い土地と・・・こんな蒔き方をしている人を見かけたら皆さんどう思いますか?思わず「あなたもうちょっと要領よく蒔きなさいよ!」と注意したくなりませんか?聖書と典礼の説明では「当時の種まきは、種を手で土地一面に巻き散らし、それから耕して種に土をかぶせたらしい。そのため無駄になる種も多かったようである」とありますが、だいたい今どきこんな要領の悪い種蒔きする人いませんよね。私たちだったら無駄にならないように畑に穴を掘って種を入れて土をかぶせますよね。

 でも実は神様の信仰の種蒔きも私たちの目から見たら要領が悪く、無駄が多いのです。神様はその人に信仰があるなしにかかわらず、私たちの機嫌の良し悪しにかかわらずいつも同じように信仰の種を蒔き続けているのですね。あの人回心の見込みがないよと、私たちが後ろ指を指したとしても、私たちが不機嫌になって教会も神様も否定したとしても、神様はいつも同じように種を蒔き続ける。というのは、神様は人間の自由意思を尊重して、人の心は変わるということを信じておられるからなのです。どのようなきっかけで人の心が変わるか分からない。だからどんな悪い心でもいつか良い心に変わってくれることを信じて、一見無駄に見えながらも私たちの心に信仰の種を蒔き続けておられるのですね。

 「人の心は変わる」これは私たちが自他ともに経験してきたことです。今日イエス様と共に一見無駄に見えたとしても、自分の心を振り返りながら諦めることなく周囲に信仰の種を蒔き続けましょう。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

東京大司教区年間第15主日ミサ配信2020年7月11日18時

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