7月26日年間第17主日
赤波江神父の黙想のヒント

列王記上3:5,7-12

 「この僕に聞き分ける心をお与えください。」ソロモンは神にこう祈り求めました。聞き分ける心、即ち耳でしっかり聞いて心で判断することですね。ヨーロッパの言語では「聞く」という言葉は「従う」という意味も含んでいます。聞くということはその声の主に従うということなのですね。その意味で「万事が益となるように」(ローマ8:28)神様は人間の顔をうまい具合につくってくださいましたね。顔の中で一番よく働く器官といえばまず口です。

 口はまず呼吸し、話し、食べ、飲み、歌い、また喧嘩のときには相手に歯でかみつくことだってできる・・・でも本当にしたらいけませんよ。でも神様はひとつの口しか与えてくれなかった。鼻は匂いをかぎ呼吸もする。でも鼻もひとつしかない。目は見るだけではなく、喜びにつけ悲しみにつけ涙を流して心の思いを表現する。「目は口程に物を言う」と言いますね。この目は二つ与えられた。ところで耳はどうでしょう。耳は聞くことしかできません。耳で話すことも見ることもできません。耳は聞くというひとつの働きしかできないのに神様は目よりも大きな器官である耳を二つも与えられた。ということは人間にとって相手の話と神の言葉に耳を傾けることが人格と信仰の成長にどれだけ大切かということを神様は私たちに示すためだったからなのですね。

 実際社会でも「聞き上手は話し上手」とも言いますね。もし口がよく働くからと言って、人間に口が二つあったら自己主張ばかりしてとっくの昔に滅んでいたでしょうね。今日の福音のテーマは「隠された宝」(マタイ13:44)です。皆さん隠された宝である神の言葉を二つの耳で探してみませんか。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

東京大司教区年間第17主日ミサ配信2020年7月25日18時

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