8月30日年間第22主日
赤波江神父の黙想のヒント

マタイ16:13-20

 「あなたがたは…何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ12:2)

 かつて経営の神様と言われた松下幸之助はよく入社試験のとき「あなたは自分がついていると思いますか」とよく質問したそうです。その意図は知りませんが、何となく分かるような気がします。私だったらこう解釈します。自分はついている、つまり運がいいという人は決して失敗や挫折を経験したことがない人ではなく、失敗や挫折を経験してもそこから何かを学ぶことのできる人ではないかと思います。というのは、会社は一つの製品を作り出すのに何十回、場合によると何百回も実験という失敗を繰り返さなければならないわけで、その失敗から学んでいかなければならないのですね。そしてその試行錯誤の繰り返しの中からチャンスを見出していくのです。こういうことはいつも気持ちが前向きでなければできない。そのような人はきっと自分のことを「ついている」とか「運がいい」ととらえるのでしょうね。

 そういう意味で会社経営だけではなく、信仰こそ前向き、プラス志向でなければならない。悲観主義、マイナス志向はパウロが言う「神の御心」でも「神に喜ばれること」にもならないのです。だいたい人は大切なことを成功からではなく失敗から学びます。もし成功したと思ったらそのときから人間の成長は止まります。反対に失敗から何か大切なことを学んだらそれはもはや「失敗」ではなく「大切な経験」となるのですね。

 例えば罪を犯して赦しの秘跡を受けてそれで終わりではいけないわけで、その罪体験から大切なものを学んでいかなければならないのですね。人と喧嘩して赦しの秘跡を受けても、またいつまでも恨みを持ち続けながら生きるのか、あるいはお互い弱いのだ、いい修行をさせてもらったと受けとめて前向きに生きるのか、皆さんはどちらが神の御心だと思いますか?今日のアレルヤ唱がいいヒントになります。

 「主イエス・キリストの父が私たちの心の目を開き、私たちがどんな希望に召されているかを示してくださる」

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

東京大司教区年間第22主日ミサ配信2020年8月29日18時

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