9月13日年間第24主日
赤波江神父の黙想のヒント

「あなた方に一人一人が心から兄弟を赦さないなら、私の天の父もあなた方に同じようになさるであろう。」(マタイ18:35)

 ある信者さんと未信者さんが口論となったそうです。しばらくして信者さんは今日の福音書の言葉を思い出して、このままではよくないから和解しようと思って相手に「私あなたを赦します」と言ったところ、相手は「私を赦すとは、あなたいったい何様のつもりか」と反対に怒りだしてますます関係がこじれたそうです。

 赦すって難しいですね。だいたい日本人は「ゆるす」という言葉を聞くとき普通は「許す」というイメージが強く、それは上からの目線の言葉なのですね。ですから「人をゆるす」というとき相手より少し高い所に立って「しばらくは復讐を控えてやる」というイメージを持っているのではないでしょうか。このようなイメージを持つ限り本当に人を赦すことは難しいでしょう。

 でも皆さん、完全な赦しは本来神にのみ属することではないでしょうか。そこで神様に反論してみませんか。「神様、あなたは私たち人間を不完全なものとしておつくりになったのに、神様と同じような完全な赦しを要求されるおつもりですか。」と。

 私たちは神様のように完全に人を赦すことはできない、でも人の弱さや過ちを受け入れることはできる。人は悪いのではなく弱いのだ。その弱さの故に過ちに陥るのだ。自分が欠点だらけであるのと同じように相手も欠点だらけなのだ。この欠点だらけの自分を神様が守って愛してくれているように、神様は欠点だらけの相手も同じように守って愛してくれているのだ、ということが理解できて相手の弱さを受け入れることができたとき、私たちも福音が要求する神の赦しに完全ではなくとも、少しずつ近づくことができるでしょう。

 そこで今日の福音をこう解釈しましょう。「人を受け入れよ、そうすればあなたも神様から受け入れてもらえる。」赤波江による福音…これはちょっと余計…

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

東京大司教区年間第24主日ミサ配信2020年9月12日18時

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