10月11日年間第28主日
赤波江神父の黙想のヒント

 「皆さん、私は貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です。」(フィリピの教会への手紙4:12-13)

 思わず、「その秘訣教えてくれー」って叫びたくなりますね。いついかなる場合にも対処する秘訣って何でしょうか。これを飲んだら何でも治るという、まるで万能治療薬のようなものなのでしょうか。

 例えば、アシジのフランシスコを思い出してみましょう。彼の霊性と言えば、あの粗末な修道服のイメージから貧しさを思い浮かべる方は多いと思います。でも本当に彼は自分が貧しい生活をしていると思っていたのでしょうか。いいえ、彼はいつも誰よりも豊かな生活をおくっていたと思うのですね。フランシスコの霊性は喜びです。彼は一見粗末に見える食物でも衣服でも住いでも、それを大きな喜びと感謝をもっていただいたのですね。だからそれ以上のものを必要とはしなかった。周囲の人はそれを清貧と呼んだ。しかし彼は自分が決して貧しいとは思わず、かえって誰よりも豊かな生活をおくっていると思っていた。感謝と喜びこそは彼にとってすべてに対処できる秘訣であり、まさに神が与えてくれた心の「万能治療薬」だったのですね。それはパウロからフランシスコを経て今の私たちにとっても変わることのない秘訣なのですね。その秘訣は、神がつくられた全てのものへの愛へと発展していきました。

 例えば古代、人は太陽を神として崇めました。次に科学の時代が来て人は太陽が神であることを否定しました。やがて神秘の時代が来てフランシスコは太陽を友と呼びました。フランシスコの時代から800年を迎えた今、私たちは太陽をどう呼びましょうか。感謝と喜びで太陽を見たとき、何か新しい呼び方ができるかも知れませんね。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

東京大司教区年間第28主日ミサ配信2020年10月10日18時

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