11月15日年間第33主日
赤波江神父の黙想のヒント

 「あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。私たちは、夜にも暗闇にも属していません。」(使徒パウロのテサロニケの教会への手紙5章5節)

 皆さんもそうだと思いますが、私も時々夜中に目を覚ますことがあります。夜中に目を覚ますっていやですよね。何でもないことで気が重くなったり、不安になったりすることがよくあります。でもそうしながらウトウトしているうちに朝になって日が昇ってくると、真夜中にあれほど気が重くなっていたことがまるで嘘であったかのように、まるで何事もなかったかのように一日が始まる。太陽が昇って周りが明るくなると心の中も明るくなる。太陽って不思議ですね。そして嬉しいものですね。毎朝日の出とともに勇気が与えられる。私の好きな歌に夏休みのラジオ体操の歌「新しい朝が来た 希望の朝が 喜びに胸を開け 大空仰げ…」があります。実はこの歌年中聴きたいのですが、夏休みにしか歌われないのが残念です…それはともかく、パウロが言うように、私たちは皆光の子、昼の子、夜にも暗闇にも属していません。

 でもこの言葉はもう一つ大切な意味を含んでいます。光と昼は明るさを意味します。即ち、私たちが光の子、昼の子でなければならないのは、ものごとをいつも明るい面からとらえ考えなければならないことを意味します。つまり前進主義、前向き、プラス志向でなければならないということなのですね。もちろん私たちの人生には大きな試練がつきものです。でもそれをしっかり等身大で受け止めて、そこに人生の意味を見出し、それをスッテプとしてまた生きていかなければならないのですね。宗教の自由、思想信条の自由だからと言って、プラス志向、マイナス志向それは本人の自由ですと私は簡単に言いたくない。神を信じる者は皆プラス志向でなければならないと私は言いたいのですね。

 だから私たちが信じるのがイエスならば、いつも人生にYesと言い続けましょう。人生を肯定し続けましょう。間違っても決して自分の人生にNoと言ってはいけませんよ。                                 

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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