12月6日待降節第2主日
赤波江神父の黙想のヒント

 「私たちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、
神の約束に従って待ち望んでいるのです」(使徒ペトロの第二の手紙3:13)

 聖書の中には「滅びる」という言葉が時々見られます。今日のペトロの手紙でも「全てのものは滅び去る」という言葉が出てきました。でも何のために滅び去るのでしょうか。用事が済んだから滅び去るのでしょうか。そうではありません。新しいものが生まれるために古いものは去らなければならないのですね。ですから聖書の視点はいつも新しさ、誕生なのですね。時は過ぎ去る、それは新しいものが生まれるためにこそ古い時は過ぎ去らなければならないということなのですね。

 毎年4月頃桜の花は私たちを楽しませてくれます。やがて花が終わった後は葉が出て半年近く桜の木は緑の葉で繁っています。やがて秋が深まると葉は散ってしまいます。どうして葉は散るのでしょうか。寒くなって枯れるだけなのでしょうか。いいえ、そうではありません。桜の葉は来年花を咲かせるために準備してその使命を終えて散るわけで、つまり命を譲り渡すのですね。しかもわずか2週間の桜のために葉は半年間も太陽の光を受けながら準備するわけですね。

 人間も同じでなぜ死ぬのかというと、年を取ったからではなく次の世代のために命を譲り渡すためなのですね。このようにして人の命は有史以来延々と受け継がれてきました。人の誕生は大切なこと、同じように人が死ぬことも大切なこと、しかもよりよく死ぬことはもっと大切なことです。ですから人が亡くなったときの儀式は一般に葬式といわれますが、正しい意味では「命の伝達式」でなければならないのですね。しかもそれで終わりではなく、亡くなった後は記憶として残された人の人生の道案内にならなければならないのですね。

 そろそろ人生のマラソンのラストスパートに来ている人も多いと思います。しっかりと次の世代にバトンタッチしましょう。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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