「主よ、お話しください。僕は聞いております。」(サムエル記上3:9)
今日の聖書の言葉は、少年サムエルが夜中に起きて手を合わせて神の言葉を聞いているカードとして皆さんも子供の頃日曜学校などもらったことがあると思います。まだお持ちですか?ヨーロッパの言語で、例えばラテン語のaudireは「聞く」という意味と同時に「従う」という意味でもあります。即ち耳から入った言葉はその人を変容させ、その人を神に従わせるものでなくてはならない。その結果「サムエルは成長していった。主は彼とともにおられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。」(3:10)と今日のサムエル記は伝えています。
ところで、人間の顔の部分で一番よく働く器官は何といっても口でしょう。口は呼吸し、話し、食べ、飲み、歌い、噛みつくことだってできる。でも神様は一つしか与えてくれませんでした。確かに口は大事ですが、口は禍の元とも言われます。もし人間に口が二つあったら、きっと自己主張ばかりして人類はとっくの昔に滅んでいたことでしょう。鼻も一つですが、穴は二つあり嗅覚と呼吸の働きができます。目は見るだけではなく、「心の窓」とも言われ口以上にものを語ります。そして喜びにつけ悲しみにつけ涙を流して感情を豊かに表現します。ところで耳はどうでしょうか。耳は聞くというたった一つの働きしかできないのに、神様は目よりも大きな耳を二つも与えてくださった。しかも聞くということは他の器官にはできません。口と鼻で呼吸はできるし、目も口に代わって語ることができます。でも聞くということは耳にしかできないです。ということは、まず聞くということが人格と信仰の成長にどれだけ必要かということを神様は私たちに教えるためなのですね。
パウロも言いました。「実に、信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ローマ10:17)
皆さん、お互いしっかりと聞き上手になりましょう。
(赤波江 豊 神父)