「そのとき、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは40日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。」(マルコ1:12-13)
ここで言う“霊”とは聖霊のことです。聖霊はイエスを荒れ野に送り出し、そこでサタンから誘惑を受けられたわけです。皆さん、今日の聖書の言葉ちょっと怖くないですか?聖霊はイエスをサタンから誘惑を受けさせるために荒れ野に送り出した?聖霊は私たちを望ましいところに導いてくれるのではないのですか?
実は、聖霊は必ずしも私たちが望む安楽な居心地のいいところに連れて行ってくれるわけではないようです。むしろ本当は行きたくないところへ連れて行くことがあるようですね。イエスご自身も本来は十字架の死は望まなかった。本当は逃げたかった。でも「父よ、できることなら、この杯(受難と死)をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」(マタイ26:39)この言葉にイエスの思いがよく表されています。人々の救いのためにイエスはそれを御父のみ旨として受け入れたわけですね。
わたしたちも同じで、自分が思い願っていることと反対の方向に事が進んでしまった。そうして本当は望まないところに行ったとき、むしろ新しい世界の発見と新しい自分に気付かれたこともあるのではないでしょうか。
「知らない世界に出かけてみれば、知らない自分が見えてくる」
皆さん、この四旬節の間自己再発見の旅に出かけましょう。旅といっても実際旅行することではなく、今まで触れたことのなかったものと出会って新しい自分に気付くことです。
(赤波江 豊 神父)