3月7日四旬節第3主日
赤波江神父の黙想のヒント

 「イエスは何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」(ヨハネ2:25)

 私たちは人間関係のなかでお互いの顔を見ながら話して相手の思いを推察します。そして人の心の中までは見えないとよく言います。でも人の思いは必ず表情に出ます。相手に対して「この人嫌い」という思いで接すると、無意識のうちのその思いは表情に表れ、相手も同じ顔をするようになります。反対に「この人が好きだ」という思いで接すると相手にもその表情は伝わり、相手も同じ顔をするようになります。人間関係は鏡のようなものです。私たちは鏡に向かってほほえめば鏡の中の顔もほほえみます。鏡に向かって嫌な顔をすれば鏡の中の顔も嫌な顔をします。ですから人と接するときの相手の顔は、実は自分の自画像なのです。周囲の人が悪く見えるなら、それは自分の心に問題があり、悪いものを見ようとする心の表れなのです。ですから相手に変わることを要求するのではなく、自分の心を変えなければならないのです。周囲の人が善人に見えるなら、それは善いものを見ようとする心の表れであり、更にそれを続けなければならないのです。

 「呼ばなかったものは来ない」

 今の私たちは全て自分が呼び込んだ結果です。仮に邪悪なことばかり考えて生きていると、やがて同じことを考えている人がすり寄ってきます。このことがやがて犯罪につながります。いつも善良な思いで生きていると、同じ善良な人が近づいてきます。このことが善意の輪を社会に広げることになるのです。人の思いは全て表情に表れるのであり、私たちは心を隠して生きることはできません。今の自分は、今まで自分が思い続けてきたことの結果であり、自分が呼び込んだことの結果です。

 「イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」

 しかし私たちは今までよくない思いで生きてきたのなら、今その思いを変えることができます。考えを変えるということは人生を変えるということです。この四旬節の間人生を変えることができます。もし、よくない思いで生きてきたのなら、その思いを善良な思いに変えて明るい表情で新しい人生を歩みだしましょう。そうすれば同じ善良な思いの人たちが近づいてきます。そして希望と幸せを呼び込みましょう。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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