4月11日復活節第2主日
(神のいつくしみの主日)
赤波江神父の黙想のヒント

 「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」(使徒ヨハネの手紙1、5:4)

 パソコンで「しんこう」という言葉を変換するといろんな漢字が出てきますね。信仰、振興、進行、新興、侵攻、神鋼、親交など。それでは私が「しんこうは、しんこうなり」と言ったら皆さんどんな言葉を連想されますか?私が言いたいのは「信仰は進行なり」なのですね。つまり信仰というものは常に前に進んでいくものでなければならない。私たちを後退させたり、悲観主義に陥らせたりするものは決して信仰とは言えない。悲観主義からは何もいいものは生まれません。プラス思考、前進主義は何事にも、困難の中でも何らかの生きる意味を見出す姿勢を生み出します。ですから信仰とは人生に意味があることを信じることだとも言えるのですね。「世に打ち勝つ勝利」とは何でしょうか。この世に勝利するというより、人生に勝利すること、それは決して何か偉大なことを成し遂げることではなく、自分の人生に意味を見出した人が人生の勝利者なのですね。

 でも皆さん、勝利、勝利とあまり力まないでくださいね。神学生のとき指導司祭が講話の中で、私たちは三つの「気」で行きましょうと話してくれたのを覚えています。まず何事も「元気」に行きましょう。でもいつでも元気が出るわけでもない。そういうときは「根気」よくいきましょう。でも根気よくやっても落ち込むことも多い。そういうときは「呑気」にいきましょう。実は吞気さも一つの信仰なのですね。神を信じる者は基本的に呑気である必要があります。でも人の苦しみが分からないような鈍感ではなく、全ては神が必ずよくなるよう導いてくださることを信じる「聖なる呑気さ」でいきましょう。何年後、何十年後の自分がどうなるのか不安な気持ちで生きるのではなく、今日一日歩く道の足元を神が光で照らしてくださることだけを信じながら。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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