「ナザレの人イエス・キリスト…この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。」(使徒言行録4:11)
日本の伝統的な陶器の修復技法に「金継ぎ」があります。通常、陶器は割れてしまったらもう使い物にならないから捨てて新しいものを買うというのが一般ですが、金継ぎは伝統的にものを大事にする日本人の心情から生まれた割れた陶器の修復技法で室町時代に確立されました。当時は茶の湯が盛んで、金継ぎの美しさに魅了された人も多かったようです。金継ぎは割れた陶器を漆で張り合わせて固め、その割れ目に金粉をまぶして完成するわけですが、その美しさは割れる以前の陶器以上に新たな美の世界を生み出す一つの芸術となっています。
キリストは十字架の死により宣教活動も失敗に終わったかのように見え、「家造りの捨てた石」となりましたが、復活という「金継ぎ」によって新しい命の世界をもたらす「隅の親石」となりました。十字架の傷が新しい美の世界を生み出しました。
私たちもそれぞれ過去の十字架の傷を負って生きています。割れた心の傷は決して修復できないと思っています。でもその傷を美しいものに変えることができます。それが心の金継ぎです。憎しみを愛に、絶望を希望に、怒りを赦しに。私たちの人生は誰も取って代わることのできない唯一無二のもの、そして心の金継ぎによって生まれる人生の美しさと価値も唯一無二です。しかも自分しかかもし出すことのできない無類の尊さです。それができるのはキリストだけです。
「イエスの傷とみにくさ、このあらゆる美をはぎ取られた人間の姿の中に秘められた美がある。最も力強い美とは、あらゆるみにくさを包み込み、それを変容させてくれるもの。割れたり欠けたりした陶磁器を漆で密着させ金粉で装飾する金継ぎと呼ばれる修復方法は陶磁器をこれまで以上に美しく変容させる。同様に、十字架へと向かう道のりでも神はイエスの内に人生の中の最もみにくい部分を抱きしめ、うるわしいものにしてくれた。だから我々も自分の生活の中の一番汚い側面や、恥と思うあらゆるものに正面から向き合うことができる。我々は目を見開いてしっかりと自分の姿を見つめ、自分たちも割れたつぼだと悟る。しかし我々は神の恵みという芸術性によって抱擁されており、新しい美を発見できる。」(「救いと希望の道」ティモシー・ラドクリフ著)
「最大の金継ぎ師であるキリスト」が私たちの十字架の傷を、心の金継ぎによって唯一無二の美に変えてくださるよう祈りましょう。
(赤波江 豊 神父)