5月30日三位一体の主日
赤波江神父の黙想のヒント

 「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。」(ローマの教会への手紙8:15)

 三位一体の教えとは何でしょうか。神は唯一の神ですが、父と子と聖霊の三つのペルソナ(位格)からなっていると伝統的に教会は教えています。

 あの偉大な神学者アウグスチヌスが三位一体の神秘を解明しようと考えながら海辺を歩いていたところ、小さな男の子が砂を掘って貝殻で海の水をさかんに入れようとしているのです。アウグスチヌスはその子に「坊や何をしているの」と尋ねると、その子は「この穴の中に海の水を全部入れるんだ」と答えました。アウグスチヌスは笑いながら「坊やそんなことできやしないよ」と言ったところ、その子は「おじさんがその小さな頭で三位一体の神秘を解明するよりは、僕がこの穴に海の水を全部入れてしまう方がずっと簡単だよ」そう言うなりその子の姿は消えてしまいました。アウグスチヌスはその子は自分に使わされた天使だと悟り、それ以来自分の小さな頭で三位一体を解明しようとすることをやめ、謙虚に三位一体の神を礼拝することにしたのでした。

 三位一体の教えは私もよく分かりません。だから皆さんも分からないのは当然ですと言ったら失礼で黙想のヒントにならないので、わたしも小さな頭でわたしなりのアプローチをしたいと思います。イエスは福音書のなかでいつも「父よ」と呼びかけて祈っていました。わたしたちもまた呼びかけるときは「わたし」という第一人称があり、呼びかける相手「あなた」という第二人称があります。でもこのときわたしでもない、あなたでもない新しい関係が生まれます。それは「わたしたち」という関係です。イエスと御父の絆を強めているのはこのお互い呼びかけ合う「わたしたち」でありそれが聖霊なのです。わたしたちの家庭、わたしたちの教会、わたしたちの信仰、わたしたちの社会、そしてわたしたちの地球。三位一体とはこのわたしたちという考えの原点なのですね。

 主の祈りはまず「天におられるわたしたちの父よ」で始まります。この「わたしたち」の中には家族、友人だけではなく、嫌いな人、敵対する人も含まれているはずです。ですから祈るとき「天におられるわたしとわたしの嫌いな○○さんの父よ」と祈ってみることもいいことだと思います。皆さん一度試してみてください。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

東京大司教区三位一体の主日ミサ配信2021年5月30日10時

トップページ | 全ニュース