6月6日キリストの聖体
赤波江神父の黙想のヒント

 「取りなさい。これはわたしの体である。」(マルコ14:22)

 これはイエスが最後の晩餐の席で語り、やがて歴史を通してミサの中で司祭を通して受け継がれてきた言葉です。そして今日も世界中の教会で、アラスカの木造の教会で、アフリカの土レンガの教会で、そしてローマの大聖堂で約40万人もの司祭によってこの言葉は際限なく繰り返されています。

 でもこの言葉は司祭だけではなく、皆さんも毎日のように語っている言葉なのですよ。と言うと皆さんは「えっ?」とお思いになるでしょうね。どういう意味かと言いますと、食事のときお母さん、お父さん、あるいは子どもでも、自分が作ったものを運び、例えば「さあ食べて、わたしが作ったこの料理おいしいよ」と言うとき、この言葉は実は「取りなさい。これはわたしの体である」と同じ意味なのです。というのは、誰かのために愛情をこめて作った料理はもはや料理そのものではなく、作った人の心がこめられたその人そのものなのですから。だから「おいしい」と言うとき、それは料理がおいしい以上に作った人を受け入れることであり、料理を分け合ったり、飲み物をつぎあったりして、おいしく食べる自分の喜びが相手の喜びとなり、相手の喜びが自分の喜びとなるのですね。

 しかし「おいしい」と言って相手を喜ばせた経験もあれば、「まずい」と言って相手を悲しませた経験もあります。悲しくて食事がのどを通らなかったことなど、食事の時の様々な経験があります。でもこのような様々な経験がこれから人と触れ合うときの自分の「血となり肉となる」のですね。

 さあ皆さん、今日も家族のために心をこめておいしい料理を作ってあげてください。でも決して無言、無表情で出すのではなく、必ず何か愛情のこもった言葉を添えて出してあげてください。そして食べる人もその言葉に同じ愛情をこめて返してあげてくださいね。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

東京大司教区キリストの聖体ミサ配信2021年6月6日10時

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