「あなたの信仰があなたを救った。」(マルコ5:34)
今日の福音では二人の女性が登場し、それぞれ12年出血症を患っていた女性は癒され、一度死んだヤイロの幼い娘には再び命が与えられました。人間は古代から現代にいたるまで病気と死に対して戦いを挑んできました。しかし人間は最終的には病気になって死を迎えます。実際、病気と死は人間であることの条件であり、病気と死そのものは決して倫理的な悪ではありません。それでは病気と死に対する戦いの意味は何でしょうか。それはその戦いを通して育まれる命への愛と大いなる不滅への希望です。今日の福音で登場した二人の女性もいずれ病気になって死んだことでしょう。彼女たちは、言わばこの世の寿命を一時的に伸ばしてもらったに過ぎないのです。しかし彼女たちの人生の中で一瞬の閃光のように輝いたこの癒しが、彼女たちの命に美しさと意味を与えました。死があるからこそ命は美しく不滅です。「私は不滅の命を信じます。それは不滅へのあこがれが私にはあるからです。」(ヘレン・ケラー)
私は何度か次のような経験があります。いつも同じ場所にきれいな花が飾られている。いつまでもきれいだなと思って何気なしに触れてみたらそれは造花でした。これは生きたものではないと思った瞬間からその造花に美しさを感じなくなり、関心もなくなりました。花はいつか萎れるからこそ美しい。人間もいつか死を迎えるからこそ美しい、だからこそより美しく生きなければならない。知恵の書がこのことをより正確に述べています。
「神が死を造られたわけではなく、命あるものの滅び喜ばれるわけでもない。生かすためにこそ神は万物をお造りになった。世にある造られた物は価値がある。滅びをもたらす毒はその中になく、陰府がこの世を支配することもない。義は不滅である。神は人間を不滅な者として創造し、ご自分の本性の似姿として造られた。」(知恵の書1:13~15、2:23)
(赤波江 豊 神父)