8月22日年間第21主日
赤波江神父の黙想のヒント

 「主よ、わたしたちは誰の所へ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」(ヨハネ6:68)

 今日のペトロの言葉は、日本の教会で聖体拝領前の信仰告白として、私たちもミサごとに繰り返しています。ペトロは福音書の中で他の使徒たちに比べて非常に多く登場し、また多く語ります。12使徒の名前が列挙されるときは必ず筆頭に名前があげられ、また今日の福音書のように、イエスの質問に使徒たちを代表して答えるのもペトロで、ご変容やゲッセマネなどイエスの生涯の大切な場にペトロは必ず居合わせます。またペトロは人間味にあふれ、イエスから愛されたが、またよく叱られ、特にイエスの受難の夜3度イエスのことを知らないと否みましたが、その後鶏が鳴き「あなたは鶏が鳴く前にわたしのことを3度否むであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て号泣しました。ちなみに12使徒の中でイエスのために泣いたのもペトロだけです。

 ペトロは後にローマの教会の指導者になりました。ちなみに使徒の頭であるペトロがローマの教会の指導者であったことから、伝統的にローマの司教には特別な権能が委ねられ、後にパパとか教皇とか呼ばれるようになりました。ですからペトロは初代の教皇です。  ペトロがローマの教会の指導者であったとき大きな迫害が起こりました。言い伝えによれば、ペトロはこの迫害の苦しみに耐えきれず、ある日ローマから逃げ去りました。彼がローマの郊外アッピア街道を歩いていると、正面からみすぼらしい男性が歩いてくるのです。よく見たらそれはイエスでした。ペトロが驚いて”Domine quo vadis?”(ドミネ・クオ・ヴァディス?ラテン語で、主よどこへ行かれるのですかの意味)と尋ねたところイエスは、「私はお前に代わってもう一度ローマで十字架につけられるために、今ローマに向かっているところだ」と答えました。それを聞いたペトロは今更のように自分がしていることを恥ずかしく思い、ローマに引き返して再び宣教活動を続けました。後に捕えられて十字架刑が宣告されたときペトロは、何度もイエスを裏切り悲しませた自分はイエスと同じ十字架にかけられる値打ちはない、自分を逆さまの十字架につけてくれと願い出て、ついにローマのヴァチカンの丘で逆さまの十字架につけられて殉教したと伝えられています。今でもローマの郊外アッピア街道にクオ・ヴァディス教会という小さな聖堂があり、そこの祭壇の壁にペトロが逆さまの十字架にかけられて殉教した姿が描かれています。

 イエスの弟子とはどんな人のことを言うのでしょうか。それは決して自分はイエスの弟子だと確信している人ではなく、ペトロのように弱さもろさを身に帯びながらも、それでもイエスの弟子でありたいと願い続けている人のことです。

 今日もイエスの弟子であらせてくださいと願い続けながら、イエスとともに歩みましょう。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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