「あなたは、メシアです。」(マルコ8:29)
今日の福音でイエスは弟子たちに質問しました。「人々はわたしのことを何者だと言っているか」。それに対して弟子たちは、「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに『エリヤ』だと言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます」と答えましたが、それは当時彼らが耳にしていた噂に過ぎなかったのですね。次にイエスが尋ねます、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」この言葉の意味は、「噂はもういい、それよりわたしは、あなたがた一人一人の信仰について尋ねたい。あなたがたは、わたしをどのように信じているのか」ということです。それに対してペトロが代表して答えます。「あなたは、メシアです。」即ち、「あなたは、救い主です」「あなたこそ、救い主です」「あなた以外に救い主はいません」というペトロの信仰告白なのですね。
今日の福音は多くの日本人のキリスト教の受けとめ方を示していると思います。日本でキリスト教は割合好意をもって受け止められていると思います。キリスト教系の学校は割合評価され、結婚式は教会でというカップルも多く、最近はキリスト教のお葬式もいいなあという年配の人も多く、またクリスマスは教会に行ってみたいという人も多くいます。でも多くの日本人にとってキリスト教が評価されても、それは一種の文化であって、キリストの言葉と行いそのものに関心があるかは別の問題だと思います。即ち日本におけるキリスト教は、今日の福音が述べる「噂」のレベルをあまり越えていないのではないでしょうか。
かつて中世期にヨーロッパでペストがまん延し、人口の3分の1が亡くなったと言われていますが、そのペスト後人々の死生観は大きく変化したと言われています。新型コロナウイルス感染症も一種の世界的な疫病です。でも同時に日本ではお寺などに行く人が増えたと聞いています。コロナ終息後日本人の死生観も変化するかもしれません。そのときわたしたちも大きな役割を受けることになるでしょう。
(赤波江 豊 神父)