1月16日 年間第2主日
赤波江神父の黙想のヒント

 「イエスは最初のしるしをガリラヤのカナでおこなわれた」(ヨハネ2:11)

 イエスの最初の奇跡は、病気の人を癒したのではなく、悪霊を追い出したのでもなく、婚宴と言う家庭生活の始まりである場で、水をぶどう酒に変えた奇跡でした。イエスは突然天から降ってきた人物ではなく、私たちと同じ平凡な家庭で育ちました。イエスが最初の奇跡を家庭生活の始まりである婚宴の場で行われたことは、イエスは何よりも私たちの家庭を祝福してくださったことを意味しているのですね。同じように司祭もまず家庭で育ち、信仰教育を受けます。その意味で「家庭は最初の神学校」と言われています。

 しかし家庭は愛と信仰が育たなければならない大切な場ですが、多くの試練に直面しなければならない場でもあります。その一つが平凡で単調な毎日の連続だということです。たいてい毎日が同じことの繰り返しです。そのような生活の中で倦怠感に襲われ、会話も非常に少なくなることがあります。イエスが婚宴の席で水をぶどう酒に変えたのは大きな意味があります。水は単純平凡さのシンボルです。ぶどう酒は祝福のシンボルです。即ちイエスが水をぶどう酒に変えたのは、一見単純平凡に見える家庭生活を、信仰の目を通して祝福に満ちたものに変えて行かなければならないことを意味しているのですね。今与えられたもの一つ一つに意味と価値と感謝を見出すこと。不平不満は自分を破滅に導く恐ろしい罠であることを知ること。私たちが人間的にも霊的にも成熟を目指す上で第一に心がけるべきことは、今自分に与えられたものに価値を見出し、それを最大限に生かすことです。

 こんな譬えはいかがでしょうか。今の自分の家が狭くて汚い、もっと大きないい家に住みたいと思ったら、まず今の家を楽園に変え大きな家に住む準備をしましょう。部屋をきれいに掃除して床をピカピカに磨き上げ、カーテンも変えてみたり、食事は乏しい食材でも工夫をこらして自分なりのご馳走にしましょう。そうすれば、やがて自分の家もまんざら悪くはないことに気づくでしょう。そんな時間も金もないというのであれば、部屋に「忍耐」というハンマーで、「優しさ」という鋲を打ち込んだ、「ほほえみ」というカーペットを敷き詰めましょう。そうやって、自分が自分の運命の設計者であることが分かれば、世に言う「悪いこと」は、実は姿を変えた「良いこと」に他ならないことが分かるでしょう。

 単純な毎日を信仰の目で変容させる「単純さの聖化」。その単純さの内真意あり。あなたが今立っている単純な生活の足元には、すでに幸せの花が咲いています。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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