「わたしはあなたがたに最高の道を教えます」(1コリント12:31)
今日の第二朗読でパウロは「最高の道」として示した生き方である「愛」について、「忍耐強い」から始まる15の愛の特徴を挙げています。しかしそのうちの8つは「ねたまない」自慢しない」というような否定的な表現です。どうして彼は、愛は美しいとか、気高いなどの表現ではなく、このような否定的な表現を多く用いたのでしょうか。私にはこの否定的な表現の背後にパウロ自身の性格が浮かび上がってくるように思えるのですね。
パウロはコリントの町でずいぶん苦労したようです。そのコリントの町の人々に愛について述べた言葉は、実はパウロの自分への思いが投影されていると思います。彼は非常に優秀な神学者でした。しかし同時に熱血漢、短気でプライドが高かったことはパウロの多くの手紙の中から浮かび上がってきますが、同時にいつもそれを反省していたと思います。愛の特徴の中の8つの否定的な表現「ねたまない」「自慢しない」「高ぶらない」「礼を失しない」「自分の利益を求めない」「いらだたない」「恨みを抱かない」「不義を喜ばない」は常にパウロが自分自身に言い聞かせていたと思うのですね。ということは、優秀で熱血漢だが、短気でプライドが高かったパウロ自身にはこの言葉の裏返しの面があった。即ち、短気で怒りっぽい、高慢になったり、人を恨んだり、でもキリストに従っていくためにはそれはよくないと自省していたからこそ、自分の思いを無意識にコリントの人々に投影していたのです。特に愛は「忍耐強い」から始まって「すべてに耐える」で終わっていますが、これだけ忍耐を強調するパウロは、実は本来よほど短気な人だったと思われます。パウロは異邦人の使徒と言われ、ペトロと並ぶ教会の二大柱の一つですが欠点も多かった。しかし、欠点は長所、同時に長所は欠点です。どの性格が良い悪いのではなく、与えられた性格をどう生かすかです。パウロは神から与えられた性格を十分生かし切りました。
このパウロの愛の特徴は典礼聖歌381番で愛の賛歌としてよく結婚式の中で歌われます。ベンジャミン・フランクリンは「結婚前は二つの目をしっかり開きなさい。しかし結婚してからは片方の目をつぶりなさい」と言いました。即ち、結婚前は二つの目でお互いをよく見て、本当にこの人でいいのか、しっかり見極めなさい。しかし結婚したら結婚前には見えなかった欠点なども見えてくる。そのような時には、自分が欠点だらけであるのと同じように相手も欠点だらけなのだ。人は悪いのではなく弱いのだ、お互いの弱さを受け入れ合うという意味で、皆さん結婚してからは片方の目をつぶりましょうね。これが、パウロが言う「最高の道」にたどり着くための日々の歩みだからです。
(赤波江 豊 神父)