3月20日 四旬節第3主日
赤波江神父の黙想のヒント

「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」(ルカ13:5)

 今日の福音の言葉は、当時起こった事件を譬えに、イエスが厳しい口調で回心を迫る話しです。でも「滅びる」という言葉は厳しい言葉ですが、誰が誰を滅ぼすのでしょうか。そのヒントになるのがパウロの言葉です。「不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました」(1コリント10:10)滅ぼす者とは自分自身のことです。不平は自分自身を滅ぼす恐ろしい罠です。心というものは、それ自身がひそかに抱いているものを引き寄せます。それは、それ自身が本当に愛しているもの、あるいは恐れているものを引き寄せます。心が呼ばなかったものはやってきません。人生で起こるあらゆる出来事は自らの心が引き寄せたものです。心に何を描くのか、どんな思いをもち、どんな姿勢で生きていくのか、それこそが人生を決める最も大切な要素なのです。

 仏教には因果応報という法則があります。即ち、私たちに起こる全ての出来事には、必ずそうなった原因があります。それは日頃の自分の思いや行いであり、それが因となって果を生んでいくのです。私たちが今何かを思い、何かを行えば、それは全て原因となって、必ず何かの結果につながるという法則です。ですから、今の自分というものは、今まで自分が思い、行ってきたことの結果なのです。

 でも、今日私たちは一緒に滅ぼしましょう。何を滅ぼすのでしょうか。それは過去の間違った私たちです。イエスは多くの罪人と出会いましたが、共通することは、一度も彼らの過去を問わなかったことです。あの受難の夜、ご自分を見捨てて逃げ去った弟子たちに対してでさえ、復活したイエスの第一声は、「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20:19)で、弟子たちの背信行為には何も触れなかった。これは私たちにとっても嬉しいことです。イエスは私たちの罪深い過去は一切問わない。出会ったときが恵みのときだから。それなら、わたしたちも自分で自分の首を絞めてきた不平という罠を滅ぼしましょう。

 不平という罠を滅ぼさなければならない理由は、モーセが神に名を求めたとき、神は「わたしはある。わたしはあるという者だ」(出エジプト記3:13)と答えました。神はこの世界をあらしめる存在そのものです。そのことは創世記が伝えています。「神はお造りになった全てのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(1:31)それならば、この世のあらゆる存在のなかに悪ではなく、まず善を見出して、悪があったとしても、それを善に変え発展させること、それが神への協力者として創造された人間の使命だからです。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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