5月15日 復活節第5主日
赤波江神父の黙想のヒント

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)

 皆さんは、家庭で「愛する」という言葉をどの程度使いますか。大事な言葉ですが、実際は日常的にほとんど使っていないと思います。そういう意味で、非日常的な言葉だと思います。もちろん、家庭に限らず、周囲の一人一人を大切に思い、それを実践していても、愛するという言葉となると、何かくすぐったいような、照れくさいような、そんな印象を日本人は持っています。

 もともと日本には明治時代まで愛するという動詞はありませんでした。人に対する好意は、それまで「恋し」や「愛し」(いとし)などの心情を表すあいまいな言葉で表現されてきました。また愛しいと書いて、「かなしい」とも一般に読まれてきました。また仏教の伝統の中で「愛」という言葉には、相手に対する執着を表す自己中心的な意味があり、相手の気持ちになって、相手を思いやる心はむしろ「情」(なさけ)という言葉で表現されてきました。従って、日本ではもともと恋愛以外に、広い意味でのLoveを表す言葉がなく、明治になって西洋文学を翻訳するとき、漢語から愛という字を取って、「愛する」という新しい言葉が作られました。しかしそれが本格的に用いられるようになったのは昭和以降です。 

 今でも一般に愛するという言葉は恋愛の意味で使われることが多いせいか、口に出して愛するというと、何か軽い印象を与えるかも知れません。しかし、不思議なことに口に出して言えば軽い印象を与えても、本当は心の奥底で憧れている言葉、それが愛です。「愛したい」「愛されたい」と心の奥底で願いながらも、直接には言わず、思いやり、感謝、尊さ、美しさ、など様々な言葉で表現しているのです。日本人は今でも「わび」「さび」を大切にする文化の中で生きており、その角度から福音に近づくことも一つのミッションです。

 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」このイエスの掟はしっかりと心の奥底に収めながらも、様々な言葉と表現でこの掟を実践していくのが、日本におけるキリスト教理解に深みを増していくのではないかと思います。

      (赤波江 豊 神父)

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