6月12日 三位一体の主日
赤波江神父の黙想のヒント

「私たちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望は私たちを欺くことがありません。」(ローマの教会への手紙5:3~5)

 苦難は苦難で終わらない。必ず希望を生みだしてくれる。嬉しい言葉で、私自身聖書の中の好きな言葉の一つです。でも、何もしなくても苦難が希望になるわけではありません。それなりの、意識化や訓練、努力が必要です。苦難の中にも、神の導きやチャンスを見出してそれを希望へと変容させるためには、冷静な心と判断力が必要です。それを一般に、ぶれない心とか不動心とかと言います。そのために教会は、規則正しい生活が霊的生活の出発点であることを伝統的に説いてきました。規則正しさ生活の指針にして不動心を保つことは、教会だけではなく、社会の指導的な立場の人たちの中にも、あるいは世界的なアスリートの中にも見ることができます。

 例えば野球のイチロー選手は「普段の自分でいることが僕の支え」だと言いました。ヒットが出たから好調、出ないから不調というのは周囲の評価であって、ヒットが出ない日が続いても、バッティング感覚さえ失わなければ心配はないと言うのです。いけないのは、何打席もヒットが出ないことを焦り、それを次の打席までもっていくこと。そうならないためには、常に平静心、つまり「普段の自分」であることが必要なのですね。

 驚くのは彼の所作です。全ての所作がいつも同じでした。例えば、試合開始で守備につく時、ベンチから飛び出した彼は、必ず19歩から20歩でファールラインを越える。そして自分の守備位置のライト方向へ走りますが、いつも40歩で走りを緩め、15歩くらいで定位置につく。打撃でもバッターボックスに入って構えたときの姿はあまりにも有名でした。彼はいつも同じ行動をとることで、自分なりのリズムを保ち続けていたのですね。そのような彼の態度には何か修行僧や修道者の趣がありました。

 またイチローは本拠地シアトルで試合がある日の朝食は、必ず奥さんが作ったカレーライス、他の球場で試合があるときはチーズピザだったそうです。いくら好きでも飽きるのではないかと思いますが、彼は試合中の異変を食事のせいにしたくなかったからだそうです。こうやって徹底的に自分をコントロールしながら、「普段の自分」を保ち続けることによってあの大記録に到達したわけです。

 彼は自分の目標に関して、「目標は高く持たなければならないが、あまりにも高すぎると途中で挫折してしまう。だから小さくても自分で設定した目標を一つ一つクリアする。それを積み重ねていけば、いつかは夢のような境地に到達する。」と語っていました。今の自分からかけ遠く離れた目標ではなく、努力すれば手の届く小さな目標を設定してそれをやり通し、自分との約束を果たす。そのような達成感を積み重ねた彼は、「小さなことを重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道だ」とも言いました。このことはイエスを始め、幼きイエスのテレジアやマザーテレサやヘレンケラーなど、教会の聖人や偉人達も、表現は異なりますが、皆同様に言い続けてきたことです。

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」(ルカ16:10)

「日々の小さな奉仕の一つ一つに愛をもってささげることが天国の頂きへの道です。」(幼子イエスのテレジア)

「私たちは偉大な事をする必要はありません。しかし小さな事に偉大な愛をもってささげることはできます。」(マザーテレサ)

「人々への思いやりがあれば、小さな善意を大きな貢献に変えることができます。」(ヘレンケラー)

 平凡なことを完成させるのは非凡な業です。

 苦難を忍耐に、忍耐を練達に、練達を希望に変えることは、自分をコントロールしながら常に「普段の自分」を保ち続け、日々の小さな目標を、愛をもってささげながら、同時に支えてくれる周囲への感謝を決して忘れないことです。

 最後に、「何か素晴らしいことを達成するための努力は、決して無駄にならないことを覚えていなさい。」(ヘレンケラー)希望は私たちを欺くことがありません。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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