7月3日 年間第14主日
赤波江神父の黙想のヒント

「あなた方の名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10:20)

 イエスは弟子たちを派遣するにあたり、それは「狼の群れに子羊を送り込むようなものだ」ルカ10:3)と警告しながらも、「あなた方に害を加えるものは何一つない」(ルカ10:19)と保証し、そして最後に「あなた方の名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10:20)と弟子たちを励ましました。パウロはそのことを、「私はイエスの焼き印を身に受けている」(ガラテヤ6:17)と表現しています。

 私たちも洗礼によってイエスの弟子となり、名前が教会の洗礼台帳に書き記されましたが、同時に、イエスは私たちの名前を天国台帳にも書き記してくださった。嬉しいことです。そのとき、イエスは私たちのためにポイントカードを作ってくれたと思うのですね。私たちの身近にポイント制というのがあります。何か買い物をしたり、施設を利用したりするとポイントカードにポイントをつけてくれて、それがある程度貯まると、それで買い物ができたり、施設を無料で利用できる制度です。しかし、ポイントは忘れてしまっていることが多く、時々店員さんから、「お客様ポイントが貯まっていますよ」と声をかけられて気が付くことが多いのですね。

 確かに私たちは知らず知らずのうちに罪を重ねます。でも同時に知らず知らずのうちに善いこともしているのですね。困った人にそっと差し伸べた手、悲しむ人と共に流した一滴の涙、落ち込んだ人にかけた小さな励ましの言葉など。でも、このようなことは多くの場合、当然のことをしただけで、善いことをしたという意識はないし、次に日には忘れてしまっていることが多いのですね。だいたい、善には自意識というものがないのです。反対に、自分で善いことをしたと思ったら、どこか自己満足があるのではないでしょうか。でも神は私たちが忘れてしまった小さな愛の数々にこそしっかり目を留め、忘れずに天国にポイントをつけてくださっているのです。確かに、私たちは今まで多くの罪を重ね、赦しの秘跡でも忘れてしまった罪の赦しを願います。しかし、もし神が私たちの罪にばかり目を留めているのなら、それは私たちの神ではありません。愛である神(ヨハネの第一の手紙4:7~8)はご自分の似姿として私たち人間を創造されました(創世記1:27)。それならば、その神ご自身が私たちの善いところに目を留めてくださらないはずがないでしょう。

 イエスは十字架上で亡くなる前、ご自分を苦しめた人たちの赦しを父なる神に願って、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:24)と祈りました。でも、同時に私たちのためにも、「父よ、彼らを見捨てないでください。彼らは、自分たちがしている小さな愛の業の偉大さを知らないのです」と父なる神に永遠に祈り続けていると思います。そして、いつか私たちがこの世の務めを終えた時、天国の店員である天使から「君、ずいぶん愛のポイントが貯まっているよ」と言われ、皆さんの顔が思わずほほえみに満ちあふれることを願っています。 

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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