7月10日 年間第15主日
赤波江神父の黙想のヒント

「わたしの隣人とは誰ですか」(ルカ10:29)

 今日の福音で、「わたしの隣人とは誰ですか」と律法の専門家はイエスに問いかけました。しかし彼は、自分を中心に円を描いて、その円の中に入る人、例えば友人、家族、同胞のイスラエル人などが自分の隣人であると考えていたのです。しかし、イエスは善きサマリア人の例えを用いて、自分を中心にして円を描くのではなく、自分の助けを必要とする全ての人の隣人にあなたがなるようにと諭されました。

 今日はこのことを、少し趣向を変えて科学の面からアプローチしてみましょう。紀元前4世紀のアリストテレスの時代から中世まで、世界では地球を中心に太陽が回っているという天動説(地球中心説)が一般でした。しかし16世紀にコペルニクスが、そうではなく地球が太陽の周りを回っているのだという地動説(太陽中心説)を唱えました。しかし、当時この考えは受け入れられず、それを継承したガリレオガリレイは宗教裁判で有罪の判決を受けて、一度地動説は退けられたものの、現在地動説に異を唱える人はいません。教会も1960年代、実にガリレオガリレイの死後350年後、彼の有罪判決を取り消して、彼を無罪としました。

 人は誰でも、生来自分を中心として物事を見たり考えたりする個人主義的傾向を持っています。特に、子どもの時は誰でも、自分が世界の中心であるかのような天動説的傾向を持っているのです。しかし、それを教育、習慣、秩序、祈りなどによって、他の人の立場に立って考え、行動する地動説のような考えに移行していくのです。自分たちの地球が宇宙の中心だという考えに固執していた間、人間には宇宙の本当のことが分からなかったのと同じように、自分を中心に物事を見て考えている間は、社会との協調とか、自分が多くの人から支えと援助を受けて生きていることなど、世の中の正しい動きも分からないのです。

 自分の助けを必要とする人の隣人になるとはどういうことでしょう。人生とは、私たちに与えられた持ち時間のことです。人生の重みは時の重みです。時間の使い方は命の使い方です。自分のために時間を使うことは大切です。しかし、人間として更に成長していくためには、人のためにどれだけ自分の時間を使うことができるか、ということによるのです。

 「コペルニクス的転回」(哲学者カントが、自分の哲学のとらえ方を逆転させたことを、コペルニクスが天動説を捨てて、地動説を唱えたことを例えた)とは、発想を根本的に変えることによって、ものごとの新しい局面が開かれる例えとして用いられますが、今まで自分のためにだけ時間を使ってきたと思ったのなら、今コペルニクス的転回で、他の人を中心として、人のために時間を使いましょう。 

 人生とは、私たちに与えられた持ち時間のことです。人生の重みは時の重みです。時間の使い方は命の使い方です。命とは感じ取るもので、目には見えないものです。自分の助けを必要とする隣人のため、自分の命である時間をささげましょう。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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