7月24日 年間第17主日
赤波江神父の黙想のヒント

「求めなさい。そうすれば、与えられる。」(ルカ11:9)

 あまりにも有名なこのイエスの言葉、大切な言葉ですが、「現実の生活は大変なのだから、そう簡単に言わないでほしい。人生思い通りに行かないのだから。」と反論したくなる人も多いでしょう。特に、今日年間第17主日は教皇フランシスコが制定した、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」です。日本でも平均寿命が大幅に伸びた今、多くの人が求めているもの、特に病気の快復、健康への憧れについて考えてみましょう。全てが原始的だった太古の時代から、医学や科学技術が進歩した現代に至るまで人間は、「病気が治りますように」「いつまでも健康でいられますように」と願い続けてきました。人間は、心と体のバランスが崩れたり、思考が歪んでしまったときなど、病という形で体に警告が発せられることがあります。イエスの奇跡物語の中でも、大多数を占めるのは病人の癒しです。しかし、現代医学を信じる多くの人にとって、聖書の奇跡物語はつまずきとなっており、病気のことは医者に任せておけばいい、と断言する人も少なくありません。確かにイエスは、病人に手を触れたり、あるいは単なる一言で病気を癒した例もありますが、また「あなたの信仰があなたを救った」と病人に告げることによっても癒されました。(マタイ9:22、マルコ10:52等)人間には本来自己治癒力という偉大な力が与えられているのです。即ち、人間は自分で自分の身に奇跡を行う力があるのです。イエスに癒された人は、イエスとの出会いにより、その自己治癒力が最大限に引き出され癒されたと言えます。

 医師は病気に対する有効な手段を講じる技術をもっていますが、医師ができるのは症状を軽くしたり、抑えたりすることだけで、病気の真の原因に迫り、それを根本的に治すのは、実は、人それぞれに備わった自己治癒力なのです。従って医師の役割は、現代的な医療技術を駆使しながらも、希望を与えながら患者の生きる力、生命力を引き出すことにあり、患者自身にそのような自己治癒力があることを伝え、健康になれると言う信念を与えることです。シュバイツァーはそのことを、「どの患者も自分自身の医者(自己治癒力)をもっている」と口癖のように言っていました。1912年にノーベル医学賞を受賞したアレクシス・カレルは、祈りによって治る見込みのない患者が完治した例を挙げて、人間には誰でも素晴らしい自己治癒力があることを述べています。

 天国や地獄など、この世離れしたものには興味がないが、人間の内にある驚異的な生命力、場合によったら神がかりとも言える自己治癒力を認める人は多くいます。しかし、私は宗教も医学も同じ方向を目指しているように思えるのです。宗教とは、どこかの宗教家が授けるようなものではなく、人間の中に既に現存する神をその人と共に探求し、その力を最大限に発揮していくことにあるのです。人間には元々自己治癒力が備わっているのと同じように、神的力が備わっており、これを最大限に引き出すことが宗教の最大の務めなのです。

 「過去30年間に、私は世界のあらゆる文明国の人々から診察を求められ、数百人にものぼる患者を治療した。人生の後半を迎えた患者たち、即ち35歳以上の人々は、一人の例外もなく、宗教的人生観に最終的な救いを求めた。彼らはあらゆる時代の生きた宗教が、その信徒に与えたものを見失ったがために病気に冒されたと言っても過言ではない。同時に宗教的人生観を取り戻していない人々は、本当の意味で癒されたとは言えないのである。」(カール・ユング)

 健康であることを願う多くの皆さん、本当の健康とは、健康食品やサプリメントにあるのではなく、心が穏やかで平和に満ちた状態を言うのです。怒りや憎しみを足元に置いて、常に周囲の人に感謝しながら、何事も愛を持って接している状態を言うのです。このような心の状態であれば、体に病や痛みがあったとしても、その人は健康です。そのような状態であれば、本来人間に与えられている自己治癒力と神的力を最大限に引き出して、皆さんは病や痛みを乗り越え、それを力強い希望に変えることができるでしょう。

 「求めなさい。そうすれば、与えられる。」  

      (赤波江 豊 神父)

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