9月18日 年間第25主日
赤波江神父の黙想のヒント

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」(ルカ16:10))

 今日のみ言葉「小さな事への忠実さ」、それを習慣と言い換えることができます。人生とは習慣です。古代ギリシアの哲学者アリストテレスは「習慣とは繰り返された運動である」と言いました。即ち、習慣が性格や人格を形成するのですね。「何事も努力ではなく習慣にせよ」とよく言われます。習慣は日々の積み重ねですから、それを習い性にすれば、その後はつらいとも面倒とも感じなくなります。ですから、大事なことはよい習慣を早くから身につけることです。よい習慣に早くから身につけた人は人生の実りも大きく、反対によい習慣を軽視して生きている人は、人生そのものを軽視して生きているようにも思えます。

 鳥は生まれついた飛び方を変えることはできません。動物も生まれついた這い方や、走り方を変えることはできません。しかし、人間だけが生き方を変えることができるのです。人間だけが自分の命の限界を意識しながら、その限りある命をどう生きようかと生き方を変えることができるのです。それは人間だけに与えられた特権であり、その特権は小さな習慣の積み重ねによって成し遂げられるのです。「リンゴに芯があるように、人間は生まれながらに『死の種』を宿している」と詩人リルケは言いました。しかし、同時に「人間は死に向かって成長し続ける存在である」とも精神分析学者エリクソンは言いました。

 天才とか才能とかという言葉がありますが、それは決して一瞬のひらめきではなく、毎日の積み重ねが自然にできることを言うのですね。普段からどれだけ小さな事に忠実に打ち込んできたかということが大事であり、スポーツ選手などもよく「勝負の神は試合の時だけではなく、普段の生活を全て見ておられる」と言います。即ち、「勝負の神は細部に宿る」と。毎日の小さなことへの忠実さが勝負を分ける。これは何もスポーツに限ったことではなく、私たちの人生の勝負にかかわることであり、同様のことは教会の偉大な聖人たちも口をそろえて言ってきました。

 「ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」とイエスは警告しました。人は自分が与えたものを受け取ることになります。永遠の生命の入り口には『人は自分が蒔いたものを刈り取ることになる』という言葉が鮮やかな文字で刻まれています。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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