「私どもの信仰を増してください」(ルカ17:5)
「私どもの信仰を増してください」と言った使徒たちに、イエスは「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」(ルカ17:6)と言いました。それならば私たちは、「からし種一粒ほどの信仰でいいから、それを私たちにください。そうすれば私たちにできないことは何もありません」と答えましょう。
福音書は神の全能についていくつか述べています。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる。」(マタイ19:26)「神にできないことは何一つない。」(ルカ1:37)この言葉の意味は、人間は神とともにあれば何でもできる。反対に神がともにいてくれなければ何もできないという、人間の偉大さと不毛さを表す言葉です。
信仰という言葉は、一般社会では信念、信条、あるいは生き方とも表現されます。強い信念で不可能と思われたことを実現した人は数多くいますが、それは科学技術の面だけではなく、体に大きな障がいを持ちながらも、大きな勇気と希望を持って自己実現し、多くの人に希望と勇気を与えた人たちもまた多いのです。そのことは昨年の東京パラリンピックを観戦して、人間は勇気と希望さえあればできないことは何一つないと痛感しました。見えない、聞こえない、話せない、という三重苦を乗り越えて、教育、福祉、世界平和に貢献し、「奇跡の人」と言われたヘレン・ケラー(1880~1968)は、「私は自分の障がいを神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見出すことができたのも、この障がいを通してだったからです。」と言い、また「私たちにとっての敵とは、『ためらい』です。自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。」とも言いました。
そのヘレン・ケラーに大きな影響を与えた塙保己一(はなわほきいち1746~1821)という日本人がいます。彼女が子供の頃、両親から「あなたが目標とすべき人物がいる。塙保己一という日本人で、目が見えなくても偉業を成し遂げた人なのだよ。」と彼女に語っていたほどで、実際彼女が人生の手本にしていました。彼女が1937年初来日したとき、塙保己一ゆかりの地を訪れ、彼が使った質素な机と優しそうに首をかしげた彼の像に触れながら、「私は子どもの頃、両親から保己一先生をお手本にしなさいと励まされて育ちました。今日は日本に来て最も嬉しい日です。」と語りました。
塙保己一は7歳にして失明、12歳で母親を失い、15歳の時江戸の盲人一座に入りました。当時の江戸では目が見えない人たちは、盲人一座に入って琴や按摩や鍼を習うことが一般だったのですが、保己一は何をやっても上達しませんでした。保己一は失望し、一時は命を絶つことも考えたようですが、「学問の道に進みたい」と師匠に申し出、師匠のはからいで彼は賀茂真淵のもとに入門し、幅広い学問を習得しました。盲人一座では落ちこぼれだった彼は、耳だけを頼りに猛勉強し、後に「日本に古くからある貴重な書物を集めて、次の世代に伝えていきたい」と志を立て、41年かけて過去約1000年の間に書かれた文献を17244枚の版木にまとめ上げ編集、刊行したのが「群書類従」でした。彼は16歳の正月に「怒らぬ誓い」を自分の人生の指針として立て、「人間は小さなことで感情的に怒るようでは大業は成就しない。年の初めに誓い、生涯にわたって実行したい。」と誓ったのでした。この「怒らぬ誓い」が、やがて周囲の人への感謝と誠意を尽くす心へと発展したのでした。
その保己一の誠実な人柄と熱心に取り組む姿勢に多くの人が共感し、経済的に協力してくれる人も現れ、また「自分は貧しくて金銭的には助けられないが、幸い目は見える。いつでも本は読んであげられるから、遠慮なく本はもってくるように。」と声をかけてくれる人も多かったのでした。点字もなかった当時、彼は多くの人に本を読んでもらった内容をその場で覚え、その知識は生涯忘れなかったと言われます。彼は生涯目が見えず、自ら本を読むこともできなかったからこそ、支えてくれる人への感謝と謙虚さを忘れず、毎日を真剣に生きたのでした。
人間は信念をもって貫けば、できないことは何もありません。しかし、その信念は恨みや、怒り、虚栄心に裏打ちされた歪んだ怨念や敵意であってはなりません。確かにそのような恨みや怒りによって引き起こされた行動は一時的なパワーとはなりますが、途中で必ず折れてしまいます。人間は、感謝、謙虚、誠実さなどの正しい良心をもって、神とともに生きたとき、あらゆることが可能になることをパウロは次の言葉で伝えています。「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊を私たちにくださったのです。…キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって…あなたにゆだねられている良いものを、私たちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。」(第二朗読テモテへの手紙1:7,13~14)
(赤波江 豊 神父)