10月23日 年間第30主日
赤波江神父の黙想のヒント

「誰でも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(ルカ18:14)

 今日の黙想のヒントは柔道の話です。私が好きだった柔道家で、昨年53歳で癌で亡くなられた古賀稔彦さんがいました。常に一本を取りに行く姿勢、小柄ながらも切れ味鋭い技、豪快な一本背負い投げを得意とし、「平成の三四郎」と言われました。しかし、金メダルを期待されて初出場したソウル五輪では3回戦敗退でした。それまでマスコミで散々取り上げられ、「頑張れ、頑張れ」と声援を受けていたのですが、帰国後は「古賀は世界で通用しない」、「古賀の柔道はもう終わった」などと中傷され、彼の周りからは潮が引くように誰もいなくなったのです。彼もひどく落ち込み、人間不信になってしまいました。  

 そんなある日のこと、何気なしにテレビのオリンピック総集編で、たまたま自分の試合を見ていた時、彼の目が画面にくぎ付けになりました。そこには彼の両親の姿も映し出されていたのですが、彼が負けた直後、日本から応援に駆けつけてくれた人たちに向かって、何と両親が期待に応えられなかった彼に代わり、深々と頭を下げていたのです。その姿に彼は大きなショックを受け、自分を恥ずかしく思ったのでした。それまで、「自分が練習して、自分が強くなって、自分がオリンピックに行って、自分が負けて、自分が一番悔しい」と思い、応援されることも当たり前だと思っていたのですが、実は戦っていたのは自分一人ではなく、両親を始め、彼をサポート、応援してくれた多くの人が一緒に戦ってくれていたことに初めて気づいたのでした。彼にとってまさに、目からウロコが落ちる思いでした。自分の背後ではこんなにも大勢の人が一緒に戦ってくれている。もう両親に頭を下げさせるわけにはいかない。応援してくれた人たちのためにも、次の五輪で必ず金メダルを取って恩返ししよう。その思いが原動力となって次のバルセロナ五輪で、怪我に苦しみながらも金メダルを取ったのでした。

 「誰でも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」この言葉の意味は、人間高ぶっている時は、心の目が閉ざされて自分の世界しか見えず、周りの本当の姿が分からないのです。反対に、へりくだって自分を支えてくれる周囲の人に感謝したとき、ものごとの本当の姿が見えてきて、それが本当の生きる力の源になるのです。それを感謝力と言います。しかし、それは場合によったら古賀稔彦さんのように、一度挫折や失敗を経験して初めて、心の目が開かれることも多いのです。

 私たちは一人で生きているのではありません。私たちの背後では多くの人が私たちのために生き、私たちを応援しています。しかし、このことは言葉としては分かりますが、一度壁にぶち当たらないとしないと実感しにくいものなのです。しかし、挫折や失敗によって多くの人の支えや愛を知ったならば、それはもはや過去の挫折や失敗ではなく、今を生かす「貴重な経験」となるのです。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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