1月8日 主の公現
赤波江神父の黙想のヒント

「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」(マタイ2:11)

 1929年10月24日木曜日(後に暗黒の木曜日と呼ばれます)、アメリカのウォール街の株大暴落をきっかけに、世界大恐慌が始まりました。それまで誰もが株を持ち、株は必ず上がるとの幻想は一瞬のうちに崩壊し、株は紙くず同然となったのでした。1930年代にはニューヨークでも餓死者が出たくらいで、その寒い冬実際にあった話です。

 あるおばあさんがパン屋からパンを一斤盗みました。大恐慌の時代、そのパン屋は度々パンが盗まれる被害にあっていたのでしょう。パン屋の主人は、おばあさんを裁判に訴えるというのです。おばあさんには病弱な娘が一人いて、その夫は逃げてしまい、今どこにいるのか分からない。孫は毎日おなかをすかせている。おばあさんは懇願して赦しを願うのですが、主人は頑として聞きいれず、こういう人間を野放しにするのだから、いつまでたっても社会はよくならない、見せしめに裁判に訴えてやると言うのです。

 ヴィクトール・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・バルジャンは、一斤のパンを盗んで19年間投獄されました。さて、この一斤のパンを盗んだ女性ジャン・バルジャンにどんな判決が下されるのかと噂になり、裁判所には大勢の傍聴人がやってきました。おばあさんは裁判官に、自分のつらい身の上を切々と語りました。裁判官はその話を聞いて、悩んだ挙句こう判決を下しました。

 「残念ですが、おばあさんは法に従ってもらわなければなりません。例外を設けるわけにはいきません。おばあさんは罰金として10ドルを払ってください。それができなければ10日間の禁固刑になります。」おばあさんは思わず床に泣き崩れました。ところが裁判官は次のように続けました。「私は裁判官として、皆さんにも罰金を命じるものであります。」皆びっくりして、「自分たちは何も悪いことはしていないぞ」と言わんばかりに顔を挙げました。裁判官は続けて、「というのは、このおばあさんが娘と孫のためにパンを盗まざるを得なかった、この街に住んでいるという罪によって一人に50セントの罰金を命じます。」と言って、裁判官自身は背広のポケットから10ドル紙幣を取り出して帽子に入れ、裁判所の若い職員にこの帽子を皆に回すように命じました。やがておばあさんはその日57ドル50セントを手にして、感謝の内に裁判所を後にしたのでした。

 この裁判官はおばあさんに対して、刑を免除はしませんでした。確かにパンを盗むのは良くない。そこで法に従って判決を下しました。おばあさんは刑に従って罰金を払いましたが、実は、その罰金10ドルは、裁判官自身が自分の罰金として出したお金です。そして、「このおばあさんがパンを盗まざるを得なかった、この街の住人であることの罪」と言う法律は、裁判官が勝手に作った法律で、要するに、おばあさんがパンを盗まざるを得なかったのは、みんなの責任だと言う、アメリカ人らしい機知とユーモアに富んだ判断でした。日本の官僚にも、もう少しこのような機知とユーモアが必要だと思います。ところで、あのジャン・バルジャンは、善良なミリエル司教との出会いによって救われました。この裁判官にはあのミリエル司教の姿を彷彿とさせるものがありますね。

 さて、裁判官が法廷を退席するとき、ちょうどウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカの国会を訪問したとき、議員たちから総立ちになって拍手で迎えられたように、傍聴人たちは総立ちになって、この名判断を下した裁判官に拍手喝采したのでした。

 新年が始まりました。この1年、何が私たちを待っているのでしょう。多くの困難が待ちうけているのは確かでしょう。しかし、一見世の中悪いことばかりのように見えても、社会がちゃんと動いているのは、あの裁判官のような無数の善意の人が動いているからで、世の中悪いことよりも、良いことの方が多いことに気付いてください。

 今日は主の公現の主日です。東方の学者たちは、幼子イエスをひれ伏して黄金、乳香、没薬をささげました。でも実際は、イエスご自身が私たち一人一人の尊い命の前にひれ伏して、私たちが生きるに必要な全てのものを備えてくれているのですね。神は、あの裁判官のように、時々試練を命じることがあっても、神ご自身がその試練を乗り越える力も備えてくれているのです。(1コリント10:13参照)

 皆さん、安心してこの1年の旅を続けてください。

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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