1月22日 年間第3主日
赤波江神父の黙想のヒント

「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4:17)

 1月18日から25日までキリスト教一致祈禱週間です。キリスト教は最初の1000年間は、諸所に個別的な分裂があったとはいえ、一致していました。しかし11世紀に入ると、主に政治上、文化上の対立から、ローマを中心とする西方教会と、コンスタンティノープル(今のイスタンブール)を中心とする東方教会に別れ、さらに16世紀には宗教改革によってプロテスタント教会が生まれましたが、一度分裂した教会は、更に分裂を繰り返して多数のプロテスタント教会が出来上がってしまいました。従って第2の1000年期は分裂の時代でした。聖ヨハネ・パウロ二世は21世紀から始まった第3の1000年期を、再び一致の時代にしなければならないと言われました。今になって、過去の分裂の責任がどちらにあったかを議論することは意味がありません。確かに双方に責任があったに違いありません。しかし大事なことは、過去の過ちをそれぞれの教会や教団の罪にしないことです。現代の世界状況においては、キリスト者たちを分離させる点より、彼らを結ぶ絆を大切にして、イエスが本来何を目指していたのか、原初に立ち返らなければなりません。

 この点、第二朗読のパウロの言葉は、このキリスト教一致祈祷週間に対する大きなメッセージです。「兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。みな、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし、思いを一つにして、固く結び合いなさい。」(1コリント10:10)インドの哲学者で元大統領サーヴェパリ・ラーダクリシュナンは、「私たちに必要なのは、イエス・キリストのごとく神を生きている人間であって、キリストの教派ではない。」と警告し、またマザーテレサも「キリストに近づこうとしている人にとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがあります。言葉でだけきれいなことを言って、自分は実行していないことがよくあるからです。人々がキリスト教を信じようとしない理由がそこにあります。」と厳しい言葉を残しています。

 キリスト教を始めとして他の宗教でも、それが弟子たちによって記録され、組織化されるようになって、創始者の本来の意図からずれていく傾向があります。そうして組織化された宗教は、やがて他の宗教や教団に対して、非寛容かつ排他的な態度をとるようになりがちで、ときに血で血を洗うような抗争を繰り広げてきたことは歴史が証明しています。イエスは、「悔い改めよ。天の国(神の国)は近づいた」と宣言しましたが、現実に到来したものは本当にイエスが意図していたものか、反省する必要があります。

 ヴェーダという古代インドの宗教文書の中に「唯一の真理は聖者たちによって多くの名で語られる」という格言があります。真理を特定の宗教や教団の独占物にするのではなく、他の宗教、教団にも真理の萌芽はあり、またそれぞれ過ちに陥る危険性は、常に潜んでいることを忘れてはなりません。

      (赤波江 豊 神父)

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