3月19日 四旬節第4主日
赤波江神父の黙想のヒント

「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(サムエル上16:7)

 人間には視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚の五感があります。この五感で自分を表現し、人とコミュニケーションをとります。しかし人間には五感を超えるもので、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の感覚があります。それを聖書は「心で見る」と表現しています。この心で見ることを一般には第六感とか、インスピレーションと言います。しかし、この第六感と言われる心の目は決して超能力ではなく、誰にでも与えられており、実はこの心の目で一度に見る、聴く、感じることさえできるのです。

 私たちは五感を頼りに生きていますが、実際目で見て、耳で聴いたものが必ずしも真実なものではないということも時々経験します。このことはフェイクニュースという言葉で代表されますが、情報そのものは必ずどこかで操作されたものなのです。ですから、ものごとの背後には、何か特別なものがあるのではないか、何か隠されているのではないかと時々思ったり、疑問を感じたりすることも必要なのです。第六感に関しては、自身や家族に生命の危険などを感じる「虫の知らせ」などがこれに当たります。動物でも第六感があるのでしょうか、例えば渡り鳥は毎年大変な距離を地図なしで移動します。研究者によると、渡り鳥には地球の磁気を感じ取る能力があり、これをコンパスのように使って方位を正しく把握するそうですが、やはり人の目には不思議です。また身近な四季の移り変わりなど、理屈では分かっていても不思議です。また人と接しているとき、相手の言葉や表情を通して、その背後にある大切なものを直観することもよくあります。このように目に見えない大切なもの、例えば自然を支配している偉大な力や、人の魂や心を見るのがこの第六感と言われる心の感覚なのです。

 この世界で最も素晴らしいもの、美しいものは目で見たり、手で触れたりすることはできません。それは心で感じなければならないのです。そして心で感じた大切なものは、決して移ろい行くものではなく、それこそが永遠なものなのです。この心の感覚は決して超能力のようなものではなく、本来誰にでも与えられていますが、人間として成熟して生きる上で、お互い思いやりをもって生きるために、日々トレーニングしなければならず、そうでないとこの素晴らしい感覚も鈍ってしまい、人とのコミュニケーションも難しくなり、目が見えるのに本当のものが見えない状態になってしまいます。

 そのトレーニングとは、心のアンテナを張りめぐらしながら、イエスのように人の喜び悲しみなどを自分のことのように感じる繊細さ、常に人に「与える」ことに主眼を置いて行動し、何事も感謝の心を忘れず、先入観でものごとを判断しない柔軟な発想、できないことより、できることに着目する前向きな思考が必要なのです。そして、このトレーニングを努力ではなく、次第に習慣化することにより、やがて「全てのものは光にさらされて、明らかにされます。」(エフェソ5:13)   

      (赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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