4月30日 復活節第4主日
黙想のヒント

「私が来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10:10)

 羊は貴重な家畜ですが、飼い主がいなければ生きていけない弱い動物です。その特徴は、羊は必ず飼い主の声を聞いてついて行くことです。イエスは私たちをこの羊に譬えています。その意味は、私たちは神のみ手の中にあり、神は私たちを守ってくださるという、神と人間相互の根本的な信頼が、羊が命を豊かに受ける条件だということです。

 自分を見つめ、自分と真剣に向き合うことは大切ですが、それに集中しすぎると、そこには大きな危険性も見えてきます。それは、全てを自分一人で抱え込んでしまうということです。何か個人的な問題に取り組む場合、徹底して取り組むことが必ずしも良い解決をもたらすとは限りません。自分自身の間違いと正面から戦えば戦うほど、自分を正当化する力が生み出されていくからです。そして、この間違いを繰り返さないために徹底的対処する結果、思い込みという牢獄の中で、ますます自分に対して厳しくなるか、諦めてしまうかのどちらかです。そして、人に対しても厳しい態度で接するようになってしまうのです。

 初代教会の砂漠の修道者たちは、弟子たちに悪魔と正面対決をしないように教えました。悪魔と正面対決するには高度な霊性がいるのであり、通常の人はそれをもっていない。もし悪魔と正面対決しても、一時的に誘惑に勝ったような気になるが、後でさらに強い誘惑が来て、結果的に潰されてしまう。そうではなく、光である神を見続けよ、そのことによって徐々にではあるが、確実に悪魔に打ち勝つことができると教えました。

 この修道者たちが言いたかったのは、人間であることを気楽に考えよということです。そのためにはユーモアの精神が必要です。ユーモアは一つの徳です。教会の霊性からユーモアを切り離すことはできません。偉大な聖人たちは皆ユーモアの人でした。ユーモアの精神は、私たちは神のみ手の中にあり、全てを一人で抱え込む必要がないことを教えてくれます。全てを自分で解決しなければならないと考えれば、もはや自分の責任に耐えられず、人間であることを非常に困難な任務として受け取ってしまいます。しかし、神が私たちの過ちを悲しむことはありません。自分の思い通りにいかず腹をたてているのは自分だけですから。

 5月5日は子どもの日です。親が、子どもが間違うたびに腹をたてても、そこから何も生まれません。子どもたちは、誰もが経験する問題を自分で乗り越え、いずれ生長いていくのだという信頼とユーモアの精神が必要です。それが子どもというものです。ですから子どもは間違ってもいいのです。子どもは自分自身の間違いから多くのことを学んでいきますから。信頼された子どもは、信頼する力を身につけます。しかし反対に、完璧に教育しようとすると、必ずその逆になってしまいます。

 六甲山牧場の呑気そうな羊の群れを見ていると、自分も神の前で呑気でいいのだという気になります。呑気さも一つの信仰です。但し、鈍感ではなく聖なる吞気さで行きましょう。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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