6月11日 キリストの聖体
黙想のヒント

「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命記8:3)

 人間の人格形成に決定的な影響を与えるのは言葉です。人がパンだけで生きているのなら動物と同じです。動物と人間を区別するものは言葉です。言葉は人を生かし、また殺しもします。例えば、幼い子どもたちにとって日常的な権威者は両親です。その両親が、子どもが試験や発表会、競技などで自分が期待していた通りの成果が得られなかったときにかける言葉には十分気をつけなければなりません。子どもは壊れやすいガラスの器のように非常に傷つきやすく、自分の頑張りに対する大好きな両親の評価をそのまま受け入れ、それが自分自身の心の声となるからです。優しい励ましの言葉を受ければ「また頑張れる」「今度は良くなる」となり、厳しい叱責の言葉を受ければ「やっぱり駄目だ」「自分にはできない」と思い込みます。やがてこれが自分の心の声となり、自分自身のイメージとなっていくのです。この自己イメージとは、人生のあらゆる面について、私たちが自分をどう見ているかということであり、そのイメージによって努力の成果もいい意味でも悪い意味でも変わるのです。即ち自己イメージは、よきにつけ悪しきにつけ私たちの努力の成果を決定する調整装置なのです。

 この自己イメージに決定的な影響を与えるのは言葉です。「主の口から出るすべての言葉」とは必ずしも聖書だけを意味するのではありません。人を生かす言葉、嬉しい言葉、喜びの言葉はすべて神から出る言葉です。反対に汚い言葉、呪いの言葉、人を傷つける言葉はすべて悪魔から出る言葉です。言葉は受けた側だけではなく、それを発し続ける本人をいい意味でも悪い意味でも現実化します。正しい美しい言葉を発し続ければ、同じ正しい美しいものを招き入れ、悪い汚い言葉を発し続ければ、同じ悪い汚いものを呼び込むことになります。「心はそのあるべき場所にある。そしてそれ自体が地獄を天国にし、天国を地獄にする力をもつ。」(失楽園ジョン・ミルトン)即ち、天国も地獄も自分とかけ離れた場所にあるのではなく、全て自分の心の中にあるのです。

 心の内面(これを潜在意識とも言います)に書きつけられた言葉は、やがて外面的な現実となります。イエスは言いました。「言葉の内に命があった」(ヨハネ1:4)だからこそ私たちはイエスに従って生きたいのなら、絶えず正しい前向きな考えと言葉を心に刻み続けなければならないのです。私たちが心に感じ発する言葉は、全て経験や出来事として顕れます。思いと行動は常に釣り合わなければなりません。これが生命の法則なのです。この思いと行動のバランスがとれて私たちの心に調和と平和をもたらすのです。思いは人生の設計図であり、言葉がそれを建設するのです。

 皆さん、良い言葉を使ってください。必ず良いことが起きますから。良い言葉はそれ自体が人を幸せにする力を持っているのです。 

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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