6月25日 年間第12主日
黙想のヒント

「あなたがたは、たくさんの雀よりはるかにまさっている。」(マタイ10:31)

 今日の黙想のヒントは、小雀との不思議な出会いの話です。6月頃の少し蒸し暑い日のことでした。私はある緑地公園の木陰で車の窓を開けて休憩していました。周りでは賑やかな小鳥のさえずりが響いています。ふと、やけに間近で小鳥が鳴いているなと思っていたら、何と一羽の小雀が車の助手席でピーピーと鳴いているのです。私は驚きました。まだくちばしの黄色い小雀です。巣から落ちたのか、親とはぐれたのか分かりませんが、まだ飛べないはずの小雀がなぜ車の助手席にいるのでしょうか。私は小雀を手のひらにのせ、窓から外に逃がそうとしましましたが、すぐ助手席に戻るのです。何度かそうしましたが、やはり助手席に戻るのです。私は悩んでしまいました。このまま外に放り出して立ち去ることもできるのですが、そうなるとこの小雀は野良猫やカラスの餌食になってしまう。小雀は相変わらず助手席でピーピーと鳴いて(泣いて)いる。神様からこのおじさんに養ってもらえと命じられて来たのか、本能から来たのか知りませんが、私にはこんな小雀を養ってあげる時間はないのです。しばらく悩んでいましたが、私はついに決意しました。車の窓を閉めてアクセルを踏みました。行き先は小鳥屋さんです。一方小雀の方は、これで養ってもらえることを直観して安心したのでしょうか、急に静かになりました。小鳥屋さんで鳥かごを買って事情を話すと御主人は、「小雀は可愛いですな。ようなつきますわ。」と言う。確かに可愛いけど、鳥かごを手に持ちながら、何で自分がこんなことをしなければならないのかと思うと、何か情けない気持ちになる。一方小雀の方はその日からに完全に私になついて、餌もよく食べるし、私を親だと思い込んだのか、1時間でも留守して部屋に戻ると大変な喜びようです。イエスは、「あなたがたは、たくさんの雀よりはるかにまさっている。」と言いましたが、小雀の方は私を完全に同等な仲間として接してくれていたようです。その後しばらく教会で飼っていましたが、やはり十分面倒を見てあげる時間がなかったので、実家で当時生きていた母親に飼ってもらうことにしました。その後小雀はくちばしの黄色いのもすっかりもとれて大きくなり、母親のごはんを横取りしたり、頭をつついていたずらをしたりして可愛さも絶頂に達した頃、突然死にました。

 もしかしたらあの小雀は、神から私に送られた使いだったのだろうかと、本気で考えることもあります。でも、できればもう一度だけ、神があのような可愛い小雀に出会わせてくれないだろうかとも願っています。

 「我と来て遊べや親のない雀」(小林一茶)

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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