「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マタイ16:24)
「自分の十字架」とは、自分の欠点や限界、あるいは劣等感とも言い換えられます。階段には一休みする踊り場があるように、人間の成長にも踊り場があるのです。即ち、人間の成長は右肩上がりではなく、ある段階を越えると、しばらく成長がとまったような、努力しても成長の実感がわかないスランプ状態に陥るようなときがあります。そのようなスランプ状態を十字架や欠点、限界と感じることがあります。
信仰の世界でも、ある時から信仰の喜びを感じない、全てが無味乾燥に感じられる信仰のトンネル状態、即ち「信仰の暗夜」を多くの聖人は経験してきました。しかしそのようなスランプ状態は力が、ある一定レベルに達した証拠であるのです。ですから、このようなスランプ状態は大きなチャンスを手にする目前であるのに、ここで諦めてしまう人が多いのです。
十字架や欠点、限界と思われるものは一つの飛躍へのチャンスであり、場合によったら特権であり、かけがえのない友でもあるのです。わたしたちの本当の強さは、この十字架や弱さを認め、受け入れるところから始まるのです。強くなろうとして強い人のまねをしてはならないのです。大事なことは、この失敗のよかったことは何だったのか、この失敗から自分は何を学んだのかと思い巡らすことからチャンスは広がっていくのです。多くの場合、チャンスや恩恵は十字架や欠点などに姿を変えてやって来ることが多いのです。そのことをしっかり見つめたら、人生は十字架との戦いと、また感謝から成り立っていることにも気づくでしょう。科学的にも、ものごとを前向きにとらえ、明るく生きることで脳内に快楽物質のドーパミンも分泌されて脳も活性化され思考力も向上すると言われます。明るく前向きな言葉は心の栄養でもあるのです。
20代からの人に向けた次のような詩があります。
「君が思うよりも可能性はある
君が思うよりも限界は先にある
君が思うよりも助けてくれる人はいる
君が思うよりも失敗は悪くない
君が思うよりもすぐに結果は出ない
君が思うよりもやり直せる
君が思うよりもチャンスはある」(田口久人)
(寄稿 赤波江 豊 神父)