9月24日年間第25主日
黙想のヒント

「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(マタイ20:16)

 今日の福音の言葉を、「後のことが先になり、先のことが後になる」と読み替えましょう。これを想定外の出来事と言います。第一朗読イザヤの預言も「天が地を高く超えているように、私の道はあなたたちの道を、私の思いはあなたたちの思いを高く超えている。」と伝えています。想定外の出来事というと事故や災害を連想しがちですが、想定外の出来事は必ずしも私たちに苦難をもたらすのではなく、人生にポジティブな変化をもたらす「運命のいたずら」でもあるのです。実際私たちの人生を導くのは想定外の出来事なのです。

 エジプトにイブラヒム・ハマトという男の子がいて、彼は10歳の時列車のドアから転落して両腕の肘から先を失いました。その後彼は人から同情の目で見られたくないと家に引きこもっていました。やがて人からスポーツを勧められ、サッカーに挑戦するも転倒して怪我し、これも諦めました。13歳の時、村で卓球大会があって卓球に興味を持ち、友人と審判をしていましたが、ジャッジ内容に不満だった友人から、「プレーできないくせに、口出しするな」と言われ、これが発奮材料となって卓球に挑戦するようになりました。両手がないのにどうやって卓球をするのかというと、足の指でつかんだボールを投げ上げて、口にくわえたラケットでボールを相手のコートに打ち込むのです。首と身体を左右に大きく振ってラリーを続け、ときにはサーブを変化させ、レシーブを強烈に決めるのです。その姿は後に東京パラリンピックで私たちに大きな衝撃と感動を与えました。というのは、それまでの私たちにはラケットを口にくわえて卓球をするという発想がなかったからです。確かに彼にとって少年時代に両手を失うことは、想定外の辛い出来事だったでしょう。しかしその想定外の出来事が、卓球を通して人間がもつ無限の可能性の道を一つ示すことになったのです。

 私たちの人生には想定外の出来事がつきもので、その人生をAIで把握することは決してできません。人生は即興演奏のようなものです。状況や出会いに左右されながら進むべき道が決まっていきます。様々な人生に共通するパターンはあるものの、人生の中で想定外の出来事に遭遇しなかった人は誰もいません。私たちが人生を進む方向を決め、成長へと導いてくれるのは想定外の出来事であることが多いのです。私たちに想定可能なことがあるとすれば、想定外の出来事と、それに対する対処の仕方が人生の流れを変えていくということだけです。

 歴史上無数の人が事故や不遇な出来事に直面しても、ポジティブな新しい目でそれを見て、想定外の事故に見えてもそこに「自分だけの特権」を見出し、そこから想定外の恵みとチャンス、人間の無限の可能性を引き出したのでした。そして多くの人がその数々の苦難の時を、「人生最良の時」として記憶しているのです。ドイツ語の一方言であるイディッシュ語のことわざにあるように、「人間が計画すれば、神は笑う」のです。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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