「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また私たちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、私たちは絶えず父である神のみ前で心に留めているのです。」(1テサロニケ1:3)
信仰によって働き、愛のために労苦し、希望を持って忍耐、即ちパウロの命の3本柱である信仰、愛、希望を表すパウロらしい表現です。パウロは宣教の間何度も大きな試練、場合によったら筆舌に尽くしがたい苦難に直面しました。しかし彼はあらゆる苦難に意味、キリストのため、人々の救いのためという意味を見出すことによって、その試練を乗り越えました。だから彼にとってその試練は貴重な経験となり、彼の人生を後押ししたのです。人は経験そのものによって人生が決定されるのではなく、その経験にいかに自分の目的にかなう意味を見出すかによって人生が決定されるのです。恵まれた経験をしたはずなのにそれに感謝せず、反対に辛い経験から人生を飛躍させる人もいます。経験イコール将来ではないのです。経験は全ていかに意味を見出すかにかかっているのです。
よく町で目にする「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者宗次徳二さんは両親不明の孤児として生まれ、3歳の時宗次家の養子となりましたが、養父はギャンブルにおぼれる毎日で、愛想を尽かした養母は家を出て、養父との生活は電気も水道も止められ、食べるにも事欠く毎日で、しかも養父からしばしば虐待を受けていました。15歳のとき養父が亡くなって再び養母と暮らし、ようやく電気のある生活が始まったのでした。高校も朝5時半の始発電車に乗って、登校前同級生の父親が経営する豆腐店でアルバイトをして学費、生活費を稼ぎながら卒業したのでした。
これほどの経験をしたのなら、どうして自分だけこんな思いをしなければならなかったのかと心が屈折し、場合によったら社会に恨みを感じて非行に走ることも考えられますが、彼は子どもの頃の辛い経験を「朝から晩まで汗を流して働くことに何の抵抗もない人間に育ててくれた」という感謝の気持ちから「CoCo壱番屋」を日本一のカレーチェーン店に育て上げたのでした。60歳で経営の第一線を退いた後は一切経営に口出しせず、自身は私財をなげうって音楽やスポーツの振興、福祉施設やホームレスの人たちを支援するNPO法人を設立するなど、社会に貢献しています。
同じ辛い経験でも、恨みと不平不満で生きるか、反対に宗次徳二さんのように辛い経験に感謝し、それをスッテプに人生の視野を広げていくかは各自の選択に任されていますが、自分の辛い経験に意味を見出してこそ、パウロが言う「信仰によって働き、愛のために労苦し、希望を持って忍耐する」ことの意味が自身の中で血となり肉となるでしょう。
(寄稿 赤波江 豊 神父)