11月12日年間第32主日
黙想のヒント

「目を覚ましていなさい」(マタイ24:13)

 かつて世界の盗塁王と言われた元阪急ブレーブスの福本豊さんは、盗塁とは何かと尋ねられたとき、決して瞬発力とか次の塁を奪う意欲ではなく、「それは眼です」と言いました。眼とはピッチャーを見る眼のことです。ピッチャーはセットポジションに立ったとき、ランナーに対して牽制するかしないかを決めています。その牽制するときのモーションとバッターに投げるときのモーションには微妙な違いが生まれる。それに気づく眼が必要なのだと言いました。それは彼独特の直観力であったのです。

 今日イエスが言う「目を覚ましていなさい」という目とは肉眼のことではなく心の目、即ち直観力を絶えず用いて、何が恵みか恵みでないかを識別することをイエスは私たちに求めているのです。人間の脳は二つの領域に分けられます。即ち言語や論理をつかさどる左脳と、直観や想像力をつかさどる右脳です。この二つの領域をフル活動させることが必要なのですが、残念ながら現代人は左脳優位の世界に生きています。言葉、論理、数値が重要視され、想像力、感性、直観が二の次にされがちです。特にあらゆることが数値化されることに私たちは慣れ切っています。しかし人生は論理によってのみ成り立っているのではなく、半分は感情によって成り立っているのです。

 人間は五感で物事を把握しますが、本当に大切なものを見るのは心の感覚、または第六感とも言われる直観なのです。そして信仰とは一種の直観なのです。そしてこの直観と想像力を働かせながら自分の内面の奥底にある価値観に触れ、自分の人生にとって一番大切なものは何か、自分はどのような人間になりたいのか、自分が本当にしたいことは何かと真剣に考えていけば、人は自然と敬虔な気持ちになります。そして人生をより長期的な目で見つめることができるようになります。

 しかし想像力というものは、正しい良心を伴ったときにこそ高い次元での効果を生むのです。それが愛であり思いやりであり、そして祈りなのです。想像力は人間だけが持つ能力で、魂の建築家です。しかし良心から離れた抑制のない想像力はその人の魂を破壊しかねません。想像力は偉大な機能であり、無限の可能性を秘めていますが、低次元に陥りやすいところもあり、そこは常に良心と理性の力で監督していなければならないのです。

 「目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」とイエスは言いました。この言葉をもってイエスは私たちを不安に陥れようとしているのではありません。恐怖、疑い、不安などの想像力で祈っても良い結果は得られません。正しい良心と希望に支えられた想像力で祈ってこそ良い結果が得られるのです。アメリカのフランクリン・ルーズベルトは世界大恐慌の嵐の中で大統領に就任しました。彼は言いました、「我々が恐れなければならないのはただ一つ、それは恐怖そのものだ。」

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

トップページ | 全ニュース