12月3日待降節第1主日
黙想のヒント

「目を覚ましていなさい」(マルコ13:33~37)

 今日のマルコ福音書13章33節から37節の中に、「目を覚ましていなさい」というイエスの言葉が3度も繰り返されます。今日からイエスの降誕を準備する待降節が始まります。イエスはベトレヘムで夜のしじまの中に生まれました。そのことはまた、イエスが私たちの人生の暗闇の中でお生まれになることを意味します。人生は見通しがきかないジャングルのようなものです。ジャングルには猛獣がつきものであるのと同じように、人生には苦悩と試練がつきものですが、その苦悩と試練という研磨剤で魂は磨かれていくのです。

 しかしこれから何が起こるかわからない、見通しのきかない人生の中で、その苦悩と試練を受け入れる勇気と同時に、これから何が起こるか分からない人生の真空状態を楽しむ姿勢も必要なのです。その何が起こるか分からない未来を楽しむ姿勢があれば、まだ味わっていない幸せを享受することもできます。与えられた命に感謝し、人生喜びをもって生きることが神を賛美することだからです。反対に、何を見ても何を経験しても、つまらない、面白くないと漏らす人もいます。そのような人は最初からつまらないもの、面白くないものを探しているのです。人が見ているものは、その人が欲しているものです。何でも批判したがる人がいます。そのような人はいつも批判の原因となるものを探し続けているのです。人の批判ばかりしても何もいいものは生まれません。「批判は愚か者の最大の武器である」という諺があります。同じ仲間を探し続けるのは宇宙の原理です。

 でも同じ探すのなら「目を覚まして」楽しいものを探しましょう。それは見えない未来を楽しむ姿勢です。未来が見えないということは、何でもできる可能性があるということです。まだ訪れていない未来を不安な気持ちで迎えるのではなく、未来が見えないからこそ、可能性は無限にあるのです。心の中で確信したポジティブなイメージを大切にして膨らませることが人間の可能性を広げるのです。

 中国の歴史書『史記』の中に「燕雀安(えんじゃくいずく)んぞ 鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」という諺があります。燕や雀のような地表近くを飛ぶ小鳥には、天高く舞う鷲のような大きな鳥の考えていることは理解できない。つまり小人物には大人物の心は分からないと言う意味です。私たちも志高く、大空へ舞い上がる生き方をしましょう。大事なことは、自分の失敗や過ちを大きな鳥のように上から眺めることです。そうすれば、今まで目先のことばかり考えて悩んでいた自分がずいぶん小さく見えます。そうやって鷲のように上昇気流に乗れば、地上では見えなかった未来の可能性も見えてきます。志の高い人のところには、同じように志の高い人が集まって切磋琢磨し、魂も磨かれます。目先のことに目を奪われず、物事を大局的に見る目を養っていきましょう。だから「目を覚ましていなさい」。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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