12月10日待降節第2主日
黙想のヒント

「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」(Ⅱペトロ3:8)

 永遠という言葉があります。永遠とは決して時の長さのことを言うのではなく、時の概念を超えることを言います。「人の生き様は人の死に様、人の死に様は人の生き様」という言葉がありますように、普段の生活態度が人生のある重大な局面に表され、同時にその重大な局面に表された姿を通して、その人の普段の生活態度をうかがい知ることができるのです。

 先日、21歳の藤井聡太さんが八冠棋士となったニュースはまだ記憶に新しいですが、トップクラスの棋士の言動には感心させられるものがあります。やはり彼らは将棋に対する深い愛情と敬意があります。トップクラスの人ほど相手に深々と礼をするのです。その姿勢は相手が先輩でも後輩でも変わらない。対局後に「負けました」と言うのは辛いと思いますが、トップクラスの人ほどそれをはっきりと言います。

 彼らに対して、よく天才とか才能とかという言葉が使われますが、それは決して一瞬の閃きではなく、毎日の積み重ねが自然にでき、それを努力ではなく習慣にできることを才能と言うのです。ですからどんなにひどい負け方をしても、翌朝には将棋盤の前に泰然として座れることが大事で、負けたからと言ってやけ酒を飲んで、次の日を無駄にするような人は次第に差をつけられるそうです。

 谷川浩司九段はよく「心想事成」(しんそうじせい)という言葉を使われます。即ち、心に想うことは成るという意味で、そのためには普段からどれだけ本気で勝負に打ち込んでいるかだけではなく、周囲の人に対する礼儀正しさと感謝、思いやり、正しい言葉使い、細かい用事や、道具でもぞんざいに扱わない姿勢が大一番に現れるのです。勝負の神は対局の時だけではなく、普段の生活態度を全て見ておられる。だから「勝負の神は細部に宿る」と言われます。

 これは私たちにこそ言えることで、死ぬ前に死の準備をしても遅いので、元気なうちからその準備をしなければならないのです。日本人は成人式を迎えるために20年かかります。それならば、一番大事な人生の千秋楽を迎えるためにも20年以上かけて準備する必要があります。スペインに「死は真実の鏡である」という諺があります。人が亡くなる時、その人の生涯が容赦なく映し出されるのです。ですから人生の最期を迎えるとき、この人の長い人生は、まさにこの時のためにあったと言われたいものです。

 だから、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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