12月31日聖家族
黙想のヒント

「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」(ルカ2:39)

 「神の恵みに包まれる」ことを幸福と表現できます。人間は幸福になるために生まれ、幸福を求めて生きている、という言い方があります。私は長い間、それを当然のことと思っていました。以前新聞で幸福に関する調査報告を読んだことがあります。それによると、幸福を求めることは、今の自分の状態が幸福でないことを認めることになり、幸福を求めれば求めるほど今の状態に不満を感じ、ストレスがたまる結果になるというのです。

 幸福に関しては多くの昔から多くの哲学者が、様々な見解を述べています。「人生の幸福は、困難に出会うことが少ないとか、全くないとかということにあるのではなく、むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある。」(カール・ヒルティ)と積極的な幸福論を展開する哲学者がいる一方、ヴィクトール・フランクルは「幸福は決して目標ではないし、目標であってもいけない、さらに目標であることもできない。それは結果にすぎないのである。」と控えめとも受け止められる意見を述べています。幸福は求めて得られるようなものではなく、それは生き方の結果として与えられるものだというのです。しかも一時的な快楽状態を言うのではなく、安定し持続した心の平安がその本質だと言うのです。

 哲学者で教育者であった森信三も、「幸福は求めるものではなく、与えられるもの。己の為すべきことをした人に対し、天からこの世において与えられるものである。」即ち、幸福は求めるものではなく、自分がしなければならないことをした人、使命や責任を果たした人に、その報いとして天から与えられるものだと言うのです。即ち、真の幸福は自分がしなければならないことをした結果として発生するというのです。

 その自分がしなければならないことに関して、日本の政財界からスポーツ界まで幅広く影響を与えた思想家中村天風は、人間の欲望に関して、そのような欲望は際限がなく、それを求めれば求めるほど苦しい欲望に変わっていく。しかし彼は霊性満足という言葉を用いて、「人を喜ばせて、自分がまたその人と共に喜ぶということが一番尊いことである。この霊性満足だけが永続する心の欲求である。そして、まわりに喜んでもらおうと心をふりむけると、いつの間にか際限のない欲望からも解放されるのだ。」と述べています。

 新しい年が始まります。私たちも新しい年を「神の恵みに包まれて」生きるため、遠くの幸福を追い求めて生きるのではなく、奉仕や仕事の大小に関係なく、今自分がしなければならないことを愛と誠実さをもって果たしましょう。同時に、そこには常に「人のため」という意識が添えられることによって、神の恵みの輪が一層広がっていくことも忘れないようにしましょう。

 最後に、人間は人のために生きようと決意したとき、自分の限界を乗り越えることができることを、申し添えておきます。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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