1月7日主の公現
黙想のヒント

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」(マタイ2:10)

 当時の学問といえば占星術が主流で、その学者たちは来る日も来る日も星の研究をしていました。ある日彼らは不思議な星を見つけ、その星がユダヤに伝わる王が生まれたことのしるしであることが分かりました。彼らはその星を見て感動し、新たに生まれた王に会うため旅に出たのでした。

 感動が人間を成長させます。人間が成長するためには、何かに奮い立つ気持ちが必要です。感動するということは、その人の中に新たなエネルギーが生まれていることを意味します。特に、若い時の感動は大事で、その人の人生に大きな影響を与えます。若い人たちは何かに感動し、どうしてもそれがしたいと思ったら、それに没頭することが大事です。そしてその感動を行動に移したとき、それはもはや義務ではなく、楽しみながら実行することになります。

 論語には「子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者」とあります。即ち孔子は、「これを知る者は、これを好きな者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」と言うのです。何事も、言われたから、とか仕方なしに義務でやるとすぐ疲れ、精神的なエネルギー効率も悪くなります。反対に好きでやっていると疲れず、苦労も楽しみになることは、誰もが経験しているとおりです。何事も好きになってこそ時間も忘れ、それに没頭することができるのです。

 昨年日本人に大きな希望を与えてくれた大谷翔平は、少年のように野球が好きで、好きで仕方なく、そのこと自身を楽しんでいます。しかしそれを楽しむためには、その前に人の何倍もの努力や鍛錬をしているのです。どんなに魅力的に見えて飛び込んだ世界でも、基本的なことを身につけるまでは面白くないものです。

 私たちは自分を他の人と比べる必要はありません。比べなければならないのは、昨日の自分です。昨日の自分と比べ、今日は少しでも成長したかが大事です。人生において同じ日は1日たりともありません。にもかかわらず、今の自分の生き方が1年前の自分と少しも代わり映えしないのであれば、それは惰性の世界に入っている証拠です。毎日がマンネリ化していると思ったら、感動で心が震え立つ何かを見つける必要があります。

 占星術の学者たちは、星を見て救い主に会うという旅、即ちチャレンジに出ました。感動はチャレンジを生み、そのチャレンジは苦労をも楽しみに変えてくれます。しかし、感動の極みは、あらゆることの中で神と出会うことです。自然でも芸術でも音楽でも、感動できることは、まさに自分自身が神の中へ引き入れられていることだからです。感動する人は、他の人たちをも感動させることができます。なぜならその人たちから命が発せられているからです。     

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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