1月14日年間第2主日
黙想のヒント

「主よ、お話しください。僕は聞いております」(サムエル記上3:9)

 2011年3月11日の東日本大震災の時のことです。岩手県釜石市で津波の襲来を知った中学生が「津波だ、逃げろ」と叫び、それを聞いた中学生と隣の小学生は一目散に高台に逃げました。その結果、校舎が津波に飲み込まれたにもかかわらず、登校していた子ども全員が助かりました。この「釜石の奇跡」と言われ、子どもたちを全員救ったのが、「津波てんでんこ」という教訓でした。

 「津波てんでんこ」とは東北地方の方言で、「津波が来たら、各自ばらばらに一人で高台へ逃げろ」という意味です。これに反して、集団で固まっていたり、家族を迎えに行った大勢の人たちが亡くなりまし。この「津波てんでんこ」は1933年の三陸大津波と、1960年のチリ地震津波を経験した人たちが、津波が来たら何をおいても逃げろという教訓として語り継がれたものです。この生死の瀬戸際において、とっさの行動をとることができたのは、昔からの単純な教えなのでした。

 このような生死の瀬戸際においては複雑なマニュアルがあっても覚えられませんし、だいたい対応に迷いが生じて、大惨事を招く結果になります。今年1月1日発生した能登半島地震の夜、女性アナウンサーの「テレビを見ていないで、直ちに逃げてください」という悲痛な叫びが今なお脳裏に焼き付いています。

 そのためには、日頃から心の柔軟さが大切です。確かに強い意志をもって行動することは大切です。しかしそれが視野の狭さや頑固さになってしまうと、ちょっとした弱点をつかれただけで倒れたり、些細なことで自分のプライドを傷つけられたような気になります。身体や心をガチガチにして物事に向かうと、反射神経が鈍り、柔軟な対応ができません。一つのことに囚われ、その考えに固執してしまうと他の考えを全て否定してしまうことになり、自分にとって本来良いアドバイスも自ら塞いでしまうことになります。

 「強い意志」というのは本来柔軟なものではないでしょうか。人は子どもの頃、誰でも単なる好奇心から様々なことを自発的に楽しんできました。「柔よく剛を制す」という言葉があるように、強い意志と同時に、心の柔軟さも必要です。誰かに言われなくても、自分からそういう気持ちになる、そのような前向きな心が本来の強い意志です。「津波てんでんこ」のような単純な教訓は人間関係など、あらゆる場面で生かされるべきではないでしょうか。

 「主よ、お話しください。僕は聞いております」このサムエルの応答の中に、「津波てんでんこ」の教訓に耳を傾けてきた子どもたちの姿が重なります。子どもは「なぜ」「どうして」など好奇心の塊です。しかし好奇心を持続させるにはエネルギーが必要です。この好奇心というエネルギーがなくなったとき、人間の成長も止まるのです。     

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

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