1月21日年間第3主日
黙想のヒント

「二人はすぐに網を捨てて従った」(マルコ1:18)

 この言葉から、私は二人の弟子たちシモンとアンデレたちが若い青年であったと想像しています。その根拠は彼らが思ったことをすぐに実行に移したことです。人間年を重ね経験を積むと慎重になり、安定を求めがちです。しかし青年の特徴は思い立ったらすぐ行動に移すことです。彼らにとってイエスとの出会いは大きな感動でした。感動は人間を行動へと、成長へと導きます。しかし人間の成長には通常リスクが伴います。しかしリスクを恐れて挑戦しなければ人の成長も遅いのです。リスクを取らないことが最大のリスクとも言えます。弟子たちがイエスに従ったことは、同時に大きなピンチとリスクを背負うことになりました。ピンチとはイエスの受難の夜、愛するイエスを見捨てたという背信行為であり、リスクとはイエスと同様受難と死です。確かにあの背信行為は弟子たちの人生最大のピンチでした。しかしあの背信行為によってこそイエスの真の愛を知ることになりました。

 私たちも人生のピンチにおいて、「なぜ自分だけがこんな目に」という気持ちになることもあります。しかし全ては捉え方、心の問題です。ピンチの中にチャンスを見出すことによって、人生飛躍するものです。ピンチを好機ととらえ、それに「ありがとう」ということによって、心に余裕も生まれ、事態も好転します。「いかなる教育も逆境に及ぶものはない」(イギリスの首相ベンジャミン・ディズレーリ)しかし逆境から学んで、それにありがとうと言うまで時間がかかるときもよくあります。そのようなときは、「花の咲かない寒い日は 土の底まで根を伸ばせ やがて花咲く春が来て 立派な花が咲くだろう」(安岡正篤)

 弟子たちにとってイエスとの出会いが人生を変えたように、私たちにとっても出会いは人生の大きな道しるべです。その道しるべとは友人でしょう。シラ書は「誠実な友は、堅固な避難所。その友を見出せば、宝を見つけたも同然だ。誠実な友は、何ものにも代えがたく、そのすばらしい値打ちは計り難い。誠実な友は、生命を保つ妙薬。」(6:14~16)と述べています。しかし回心のきっかけを与えてくれるのは、必ずしも味方とは限りません。あの偉大な聖人アウグスティヌスの母モニカの話しです。彼女は子どもの頃父親に命じられて、毎晩地下室にぶどう酒を取りに行っていました。ある日、そのぶどう酒をなめてみたところ美味しかったらしい。それで毎日ちびちびとなめているうちに量が増えて、しまいにコップ一杯くらい平気で飲むようになりました。ある日、モニカが家の使用人の女の子と口論になったところ、その子から「酒飲みのお嬢さん」と言われました。モニカは誰にも見られていないと思っていたのですが、実はその子はモニカがこっそりぶどう酒を飲んでいることを知っていたのでした。それ以来モニカはぶどう酒を飲むことを止めたそうです。回心のきっかけを与えてくれるのは、仲のいい友人よりは、むしろ敵であることが多いのだとアウグスティヌス自身語っています。

      (寄稿 赤波江 豊 神父)

今日の福音朗読

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